『一番の親孝行息子サイフルイスラームが処刑される』

2012年8月21日

 アラブの春革命の影響を受け、リビアでも革命が勃発し戦闘が起こり、NATO軍の介入もあり、ついにリビアのカダフィ大佐は殺害された。

あの独裁者の最後にしては、あまりにもみじめなものだった。若い革命派の戦闘員が、血だらけで捕まったカダフィ大佐から奪った拳銃で、銃弾を発射して殺したのだ。

このカダフィ大佐の反政府派との戦の最中に、家族のほとんどが近隣諸国に逃亡した。しかし、次男のサイフルイスラーム氏だけはリビア国内に留まり、父親の闘いに加わっていた。

ある時はテレビで演説し、ある時は街頭で戦闘を継続すると、元気な演説で主張していた。その演説やテレビでの発言、そして一部文書が、彼をいま絞首刑にする証拠として固められ、揃えられつつある。

サイフルイスラーム氏は昨年の11月に、リビアとマリの国境地域で捕まり、南部の町ズインタンに連れてこられ拘留されていた。以来、彼は長期間にわたって、カダフィ財宝のありかを、問い詰められていたようだ。

彼がカダフィ財宝のありかを明かしたか否かは、不明のままになっている。そして今年の9月、リビアの首都トリポリでも、リビア第二の都市ベンガジでもなく、サイフルイスラーム氏はズインタンの街で裁判にかけられ、絞首刑に処されそうだ。そのことを伝えたのは、イギリスのサンデー・テレグラフ紙だ。

これまでサイフルイスラーム氏は、弁護士を付けることを拒否続けてきた。それは不当な裁判を、正当なものに見せるためのものであることを、熟知していたからであろう。ICC(国際刑事裁判所)からのリビア政府に対する働きかけで、サイフルイスラーム氏はヨーロッパに引き渡される可能性があったが、リビア側の拒否で実現しなかった。

最終的にはリビア政府が国選弁護士を付け、死刑判決を下すのだろうが、どうも正当な裁判になるとは思えない。欧米諸国はこのリビアのサイフルイスラーム氏に対する、裁判と処刑について、何ら動こうとしないのであろうか。

『ゲームは終わった、邪魔者は消せ』ということであろうか。カダフィ大佐は草葉の陰で、次男のサイフルイスラーム氏を称賛していることであろう。『お前が一番親父孝行息子だった。』と。