『イスラエルとアメリカの異なる一点』

2012年8月 5日

 二日ほど前だったろうか、イスラエルの新聞のネットに『イスラエルとアメリカには異なる一点がある。』というニュースが掲載された。なんだろうと思って読んだところ、イランに対する対応をめぐる認識の違いだった。

 イスラエルは今年末までか、遅くとも来年の4月までには、イランに攻撃を加えたいと考えており、アメリカはまだ1年半は余裕がある、と考えているということだった。

 もちろん、イスラエルもアメリカも、イランが核兵器を製造する、という前提でそう考えているわけだ。しかし、イランの最高権威者であるハメネイ師は、これまで何度も、イランが核兵器を製造することは無い、と明確に否定してきている。

 イランが核兵器を製造する気になったとしても、まだ当分時間がかかるだろうということは、これまで何度も書いてきたが、それはあくまでも製造するという、前提でのことであり、イランが核兵器を製造しない可能性もあるということを、忘れてはなるまい。

 欧米の専門家の間では、イランが核兵器を製造するには、まだ3~5年はかかるだろうと言われてきた。そのことに加え、その核兵器がもし出来ても、それを敵地にまで運搬する手段が必要なのだ。大型のミサイルが無ければ、とても搭載できないのだ。

 イスラム教徒からすれば、イスラム法(シャリーア)では核兵器は、禁止されている。それをあえて製造するとすれば、パキスタンのように明確な敵国が、核兵器を持ったときであろう。

 イランもイスラエルが核兵器を持ち、敵対しているのだから製造していい、という理屈も成り立つが、そうあって欲しくないものだ。述べるまでも無く、核兵器は広範囲に渡って被害を及ぼし、戦闘員だけではなく、多くの婦女子が焼け死に、あるいは一瞬にして、蒸発して消えてしまうのだ。

 イスラエルにしてみれば、被害妄想の挙句に、正常な判断が出来なくなっているのだろうか。ホロコーストで多数が犠牲になったと主張するユダヤ人は、その犠牲から何かを学ぶべきであろう。そのことを説いたとき、世界はユダヤ人を心から、尊敬するのではないのか。

 イスラエルが被害妄想から発する、異常なまでの疑心暗鬼の果てに、イランを攻撃するようなことになれば、やがて自身が滅びるときが、近くなるのではないのか。

イランはイスラエルとアメリカを敵に回し始めてから、既に各種の兵器を独自に開発している。それはかつての日本がそうであったのと、同じ現象であろう。日本は世界的に優れたゼロ戦を開発し、巨大な戦艦大和を建造し、戦争末期にはジェット戦闘機を開発し、核兵器の開発も始めていた。

追い込まれた者の発揮する能力は。常識をはるかに超えるのではないか。イランはやがてとんでもない兵器を、開発するかもしれない。その兵器の攻撃にさらされるとき、イスラエルやアメリカは軽度の被害で済むのだろうか。無駄な争いをしないのが一番の得策であろう。