アラブの春革命後の、各国の状況を見ていると、イスラム勢力が大きく、台頭していることが分る。チュニジアではムスリム同胞団と深い関係にある、ナハダ党が政権を握ったし、エジプトではムスリム同胞団が、議会の議席の大半を占め、かつ大統領を選出することに、成功している。
まさに、アラブの春革命はアラブの国々に、イスラム旋風を巻き起こしたかに見えるのだが、次第にその風向きは、変わり始めているのではないか。そう考えさせるのは、エジプト国内の様子と、リビアで行われた選挙結果だ。
リビアの選挙では、ムハンマド・ジブリール氏が率いる、国民勢力連合が他党をリードしたようだ。この政党は複数の政党が、一体となったものであり、世俗派からイスラム主義者の政党までもが、連合したものだ。
リビアにはムスリム同胞団を含む、幾つものイスラミスト政党もあるのだが、それらの政党よりもこの国民勢力連合が、支持を集めたようだ。それはムハンマド・ジブリール氏が、イスラム法(シャリーア)を尊重する立場を明らかにしたからだ、と言われている。
ここで、何故ムハンマド・ジブリール氏に人気が集まったのかを、推測してみる必要があろう。彼は革命のさなかに、臨時の首相を務めた人物でもあるのだ。アメリカで学んでもいる、いわば国際派リビア人の一人であろう。
このムハンマド・ジブリール氏は、臨時の首相を務めている時期に、アメリカ政府に招かれ、訪米しているが、その折に、次のようは情報が、漏れてきていた。アメリカ政府は訪米中のムハンマド・ジブリール首相に対し、間もなく、アメリカは軍をリビアに送り込む、と言ったというのだ。
これを聞いたムハンマド・ジブリール首相は『それではカダフィがアフリカの傭兵を、雇い入れたのと同じではないか。』と反論したというのだ。それにアメリカ側は、激怒したということのようだ。
彼は訪米の後、間もなく首相職から降りているが、身の危険を感じての、ことだったのかもしれない。
彼の訪米時の話は、私が知っているくらいだから、多くのリビア人の間で、知られているのではないか。これをもって、反米のムハンマド・ジブリールが、選挙に勝った理由とするか、イスラム原理主義に柔軟な対応した結果とみるかは、時期尚早であろうか。