1948年、国連決議に基づくパレスチナの地の分割が、イスラエルという国家を誕生させた。そしてこの年、イスラエルの建国と時を同じにして、第一次イスラエル・アラブ戦争)第一次中東戦争)が起こった。
そのイスラエルとアラブの戦争は、合計で4度繰り返され、最後の第4次中東戦争では、エジプトのサダト大統領率いる、エジプト軍がほぼ互角の戦いをしたということになり、以後和平の交渉が進められた。
パレスチナの英雄アラファト議長は、ファタハ(パレスチナ解放機構)を結成し、イスラエルとの戦いに参戦し、ゲリラ闘争ながらも、一定の成果を上げることに成功した。なかでも、第3次中東戦争での戦いで、彼は大きな称賛を勝ち得た。それはナセル大統領の敗北が、あまりにも無残なものであったからであろう。
以後、アラファト議長はハイジャック作戦など、世界を震撼させる作戦を展開し、パレスチナ問題の存在を、世界に認知させることに、成功している。そのアラファト議長も、時代の流れには勝てなかったのであろうか、オスロ合意により、イスラエルとの共存を選択した。
結果的に、アラファト議長は1996年に、パレスチナ自治政府議長(大統領)となったが、それから5年後には健康を著しく悪化させ、2004年11月11日パリの病院で死亡した。
話がこれだけで終われば、アラファト議長はある意味で、幸福な晩年を送ったことになるのだが、そうはならなかった。それは彼が隠匿していた隠し財産が、20億ドルとも60億ドルともいわれる、巨額に上っていたからであろう。
アラファト議長が死亡して間もなく、彼の側近たちの間から暗殺の噂が漏れ始めた。そこでは、次の権力集団がアラファト議長を殺したのだ、と言われていた。そのことは、現在のパレスチナ自治政府の幹部すべてが、関係していたということであろうか。
数ヶ月前に、パレスチナ自治政府の裁判所が、ムハンマド・ダハラーン氏の幹部の地位はく奪と、逮捕、罰金刑を言い渡した。ムハンマド・ダハラーン氏も暗殺事件に、関係していたのであろうか。彼はアラファト議長暗殺について、以前から重要な情報を握っていることを、ほのめかしていた。
今回アラファト議長の暗殺説が飛び出したのは、パレスチナ自治政府内部の、分裂によるものではないか。そのアラファト議長の暗殺に、関与していなかった側が、情報を漏らしたということではないか。
アラファト議長の寡婦ソーハ女史は、墓を掘り返してでも、暗殺の真相を突き止めてほしい、と語っている。多分、ここまで来ては、真相を徹底的に究明せざるをえまい。
既に流されている情報では、アラファト議長はポロニューム210(放射性)に相当汚染されていたということだ。それは側近中の側近の誰かが、アラファト議長に飲ませたのではないか。
この話題が持ち上がれば、当然のことのようにイスラエルのモサドによる、暗殺説が出てくるであろうが、そうではないだろう。ポロニュームはパレスチナの幹部たちが、入手しようと思えば、東欧圏諸国でもロシアからでも、入手が可能だったからだ。
そして、アラファト議長が死に体になった段階で、全ての隠し財産を奪おうと考えていたのではないか。アラファト議長の死亡が伝えられると、忠義面をしたパレスチナの幹部たちが、アラファト議長の妻ソーハ女史宅に、詰めかけている。そこで交わされたのは、お悔やみの言葉ではなく、『隠し口座を明かせ』という怒号だった、と言われている。
アラファト議長暗殺疑惑問題で、国際刑事裁判所が動き出せば、全てが明るみに出よう。その時、犯行の主導者が誰であったのかが、明らかになろう。それは、現在のパレスチナ自治政府機構を、根本から覆す大問題と、なるのではないか。