大衆による革命が成功し、ベンアリ体制を打倒したのは良かったのだが、チュニジアの場合もエジプト同様に、組織力のあるナハダ党が革命の果実を、世俗派の大衆から奪い取り、権力の座に着くという形になってしまった。
結果的に、革命の犠牲を払った世俗派の大衆は、権力の座から遠ざけられてしまい、宗教政党であるナハダ党の進める、イスラム回帰の渦の中に、巻き込まれつつある。
しかし、チュニジアの悲劇はそれだけではなかった。権力を手にしたナハダ党よりも強硬な、イスラム原理主義のグループである、サラフィストの挑戦を受けている。これはナハダ党政権も世俗派の大衆も同じだ。
サラフィストによる政権への挑戦は、より強硬なイスラム法(シャリーア)の施行要求であり、大衆に対してもシャリーアの実践だ。例えば大学では男女の教室を別にすることや、女子学生のスカーフ着用を要求しているのだ。
チュニジアはベンアリ政権時代、あるいはそれ以前のブルギバ政権時代も、いずれも世俗的であり、宗教規制については厳しくなかった。チュニジア国民の多くは、フランスと同じような価値観を持ちたい、とさえ思っている人たちが、多かったのではないかと思われる。
そんなかつてのチュニジアとは様変わりし、イスラム原理主義者サラフィストと、チュニジア治安警察とが銃撃戦を展開するまでに、チュニジア国内の状況は悪化している。チュニジア政府はサラフィスト弾圧を始め、力で抑え込み86人を逮捕している。
そればかりか、チュニジア政府はサラフィストの反政府行動が、激化していくことへの懸念を強め、ついに夜間外出禁止令を出したのだ。
アラブ世界は夏の夜を楽しむのが普通だが、この夜間外出禁止令でチュニジア国民は、一番いい季節の、一番いい時間帯を楽しめなくなった、ということだ。それは新たな不満を、チュニジア国民の間に増幅していく、ということであり、ナハダ党政権は今後、世俗派とイスラム原理主義者の双方から、挟み撃ちにあう形に、なるのではないか。
そればかりか一番懸念されることは、革命に成功して武器が大量に出回っている、隣国リビアから武器が密輸されることだ。そうなれば、収拾がつかなくなること、内戦に発展していく懸念さえ、持たなければならなくなるだろう。つまり、チュニジアの場合も、他の国々と同様に、革命は未だ発展段階、途上にあるということであろう。