『シリアとアサド大統領の今後』

2012年6月12日

 

 シリアとシリアを支援する国々は、現在シリアで起こっている殺戮が、アメリカやイスラエルによって、行われているのであり、それを阻止するために、シリア軍は戦っているのだ、と主張している。

 確かにそうであろう。シリア国民は極めて賢明であり、無駄な血を流すようなことはしない人たちだ。それが今回のような状況を生み出したのは、国内の問題もあるが、外部からの働きかけによるところも大であろう。

 リビアの場合は、何不自由なく暮らしていたリビア国民が、突然、カダフィ体制に反発して、革命が始まった。カダフィ大佐の独裁的というか、独断的な政治手法は、決して褒められたものではなかったが、国民は日々の生活に、困っていたわけではなかった。

 イラクのサダム体制もしかりだ。サダム体制は独裁的ではあったが、国民はそれなりに、満たされた生活が出来ていたのだ。イラクもリビアも石油を産出する国だけに、然るべき資金があり、体制側は国民を飢えさせることは、なかったのだ。

 シリアの場合も、バアス党が支配する独裁体制ではあったが、シリア国民は貧しいながらも、日々の生活に事欠くことはなかった。体制側によってそれなりの生活が、補償されていたのだ。

 それだからこそ、シリアでもリビアでもイラクでも、長期政権が成立していたのだ。国民は独裁下ではあるが、日々の生活が保障される方を、選択していたのだ。

 これらの国々では、多くの人種と宗教と、宗派の違いや所得の違い、教育の格差が存在しており、簡単に000国民として、一括りにすることは出来ないのだ。少しでもたがが緩めば、国民はばらばらになり、内乱状態に陥る危険が、常に存在するのだ。

 つまり、こうした国にとって独裁体制とは、必要悪になっているのだ。国民は独裁体制を許す代わりに、最低限の自由と生活を保障してくれることを、交換条件としていたのだ。

 そのバランスが崩れるのは、外部からの働きかけによる部分が、ほとんどでは無いのか。何処の国の場合でも体制が打倒された後には、多くの凄惨な独裁下の状況が報告されるが、国民はそれを承知の上で受け入れていたのだ。そして独裁下の凄惨な仕打ちの犠牲になる人たちに対しては『愚か者』というレッテルを、貼っていたのではなかったのか。

 シリアで始まって久しい内戦というか革命が、なかなか決着を見ないのは、いまだに現体制を支持する方が得だ、と考える国民の方が少なく無いからであろうし、シリア国内で発生している犠牲は、シリア軍によるだけではなく、反体制派とそれを支持する、テロリストたちにもよるのだ、ということを十分わかっているからであろう。

 しかし、シリアの革命騒ぎがこれだけの犠牲者を生み出したいま、そしてアメリカやアメリカに追従する、湾岸の一部の国々などによる、世界に対する宣伝が、効を奏しているいまになっては、シリアの革命の動きは後戻りが出来ない、と考えるべきではないだろうか。

 早晩、シリアのアサド体制は打倒される、と予測する方が正しいのではないか。その結果出てくるのは、アサド大統領ファミリーと、アサド体制を支持していた幹部たちに対する報復であろう。

 そして、シリアのなかで少数派を構成している人たちに対する、制裁ではないのか。キリスト教徒の各派の人たちや、シリア内のクルド人トルコ系シリア人たちが、その犠牲になるのではないかと思えてならない。

 独裁者たちは往々にして、その独裁体制を維持していくためと、外部に対する宣伝を考えて、最低限の生活を保障し、形式的な平等を実施し、マイノリテイに対する、保護をして見せるものだ。

 それが全部保障されなくなったシリアの状況が、どれほど酷いものになるかは、想像を絶するのではないか。イラクではイラク戦争後、10年以上が経過した今でも、毎日何十人もの国民が犠牲となっているし、若い女性は売春をして、家族の生活を支えているケースがあるし、人身売買が行われ、人さらいが横行している。まさに無政府状態に陥っているのだ。

 リビアでも、革命が達成された後、いまだに部族間戦闘が頻発し、毎日のように何十人もの犠牲者が出ている。シリアの今後は革命の勝利という、表面的には大衆の勝利が待ち受けているようだが、それは独裁下のいまよりも、惨めな生活ではないのか。シリアにはイラクやリビアにあるような、石油やガスという収入源が無いから、シリア大衆の生活は、これまでの独裁体制下よりも、もっと苦しくなるだけではないのか。