『アブドルバーセット・メグラヒという男の死』

2012年5月21日

 アブドルバーセット・メグラヒという人物の名前を、ご存じの日本人はそう多くなかろう。しかし、彼は国際社会のなかで一時期、大変な話題の中心になった人物なのだ。

1988年12月21日パンナム航空機が、イギリスのロッカビー市の上空で、爆発するという事件が起こった。述べるまでもなく、乗客乗員270人が全員犠牲となった。

このパンナム機にマルタ島の飛行場で、爆弾を積み込む作業の指揮を執ったのが、このアブドルバーセット・メグラヒだとされた。彼はマルタの警備担当責任者であり、しかもリビアの諜報機関員でもあることから、容疑が濃厚となり、イギリスやアメリカが国連に働きかけて、身柄の引き渡しを、リビアに迫った。

結果的に、彼はイギリスに引き渡され、イギリスの法律と判事によって、オランダの特別法廷で裁かれることになり、判決は27年の禁固刑ということになった。その後、彼は2009年に釈放され、リビアへ帰国することができた。

この事件で強硬なカダフィ大佐は、引き渡しを大分渋ったが、イギリスとアメリカの引き渡し圧力に、屈せざるを得なかった。カダフィ大佐が相当頑強に引き渡しを拒否し続けた裏には、アブドルバーセット・メグラヒ氏の出身部族が、リビアで有力部族であることだった。

引き渡しの後は、いかにして彼を早く釈放させるかということに、カダフィ大佐の命がかかっていたのだ。もしそれに失敗すれば、メグラヒ部族はカダフィ大佐に対し、反乱を起すことも懸念されたからだ。

2009年に帰国した後は、リビア政府によって手厚く介護されるのだが、彼は立場上事件の真相について、一言も言葉を発しなかった。彼は事件の真相をすべて知っていたのだが、それを口にすることはイギリスとアメリカ、そしてリビアにとって不都合な状況を、生み出す危険があったのだ。

帰国時、アブドルバーセット・メグラヒ氏は重病にかかっていたが、何とかいままで生き延びられた。そして遂に何も語らずに、彼は5月20日に自宅で死亡した。

このパンナム機爆破事件については諸説ある。イラン機がアメリカ軍によって撃墜されたことに対する報復で、イランがパレスチナの組織を使い、報復したのだという説だ。またマフィアとCIAとシリアの取引が、こじれた結果だったという説もある。

いずれにしろ、アブドルバーセット・メグラヒ氏はカダフィ体制が生み出した、スケープゴートであったことに間違いはない。彼は部下に指示したことはあり得ても、爆弾を搭載したとは思えないからだ。その指示ですら疑われるのだが、いまとなっては真相を語る者はいまい、ただ冥福を祈るのみだ。