『シオニズムはもう必要ないという記事』

2012年5月 1日

 イスラエルのマスコミに『115年が経過したいまシオニズムはリタイヤすべきだ』という記事が掲載された。その記事は、シオニズム運動が始まってイスラエルが建国されるわけだが、もうその目的は達成されたというのだ。いまはもうシオニズムを唱える時ではない、シオニズムは若い新しい運動に、その場を譲るべきだというのだ。

イスラエルは今年の5月、建国64年を祝うことになるが、そこでシオニズムとは何かを、イスラエル人が自身に問いかけてみたのであろう。シオニズムは確かに2000年以上も歴史を遡り、イスラエルという国家を設立した、20世紀最大の大成果であろう。その国家は中東最大の軍事力を有し、周辺諸国は指一本触れることができないほどだ。

シオニズムはユダヤ教に次いで、国民の間で第二の宗教の地位を、占めたのではないか。それは、イスラエル国民によるあらゆる愛国的行動が、シオニズムの成果と見なされるように、なっているからだ。

国旗をかざすことも寄付をすることも、入植地を開設することもそこに寄付を送ることも、他者を支援する行為も、全てがシオニズムによるとされるようになった。半面、イスラエルの現状を批判する、人道を主張する者は反シオニズム、と解されるようになっている。

イスラエル国民によるアラブ人の土地の略奪、マイノリテイの権利蹂躙、過剰な愛国精神は、いまでは世界の非難の的になっているのだ。

そして遂には、シオニズムとは国際的に、非難されるべきものになりつつある。だからこそ今、イスラエル国民はシオニズムを捨て、国民が胸を張って生きていけるような、新しい旗を立てるべきだろ言うのであろう。そのためには、シオニズムが主役の座を、明け渡すべきなのであろう。

いまでは、シオニズムの根本を知らない人たちが、何度にも渡るアラブとの戦争の、激烈だったことを知らない人たちが、戦争の記念碑を囲む公園で、平和な時間を楽しんでいるのだ。

こうした内容の記事がイスラエルのマスコミに登場したのは、シオニズムの限界と危険性、イスラエルとユダヤ人の世界からの孤立に対する、危機意識からではないだろうか。確かに中東ではいずれの国も、イスラエルに対して軍事的に、挑戦することはできまい。しかし、周辺の諸国はイスラエルの犯している間違いに、厳しい視線を向けているし、世界の国々は周辺諸国の立場を、支持する度合いが増している。ゲームは勝っているときに降りるのが勝利の鉄則。イスラエルにもその時が来ているのだろう。