ロシアの中東専門家ガリヴォフ・コンスタンチン氏が、革命後のリビアの状況を分析してまとめている。欧米や日本でなされている評価とは、大分異なるので、ここに簡単に紹介することにした。
彼は最初に、国連におけるリビア対応の状況について述べているが、そのなかで、ロシアと中国そしてドイツが、飛行禁止空域の設定、兵器の供与禁止などの、国連決議に棄権したことを述べている。
しかし、状況は国連の決議後、欧米なかでもイギリスとフランス、アメリカの意向通りに進められ、遂にはカダフィ大佐が殺害されることになった。これでリビア革命は、決着を見たわけだが、その後にキレナイカ(バルカ地域)の自治権要求の動きが始まる。それは、リビアの各部族間に合意ができていなかったことを証明している。
革命後にリビア国内で行われた、カダフィが集めたアフリカの傭兵狩りという名目の、アフリカ人に対する虐殺もまた、アフリカの部族とリビアの部族の間に、何の合意もなされていなかった結果であろう。その犠牲者数は決して少なくはない。
そもそも、このリビア革命は西側諸国による、リビアの富を奪取するためのものであった、と彼は決めつけている。しかし、結果的にはそれが達成されていない。西側が革命当初に目論んでいたようにはならず、革命達成後になっても、リビアの富がこれらの国々に移行することは、なかったということだ。
西側諸国による、リビアの石油のコントロールは、いまだに実現していないし、リビア国内では、イスラミストが激増したことも、西側諸国にとっては予測したくない、結果であったろう。現在では10万人を超えるリビア国民が銃を手にしており、ミリシア化するという危険な状態に陥っているのだ、
カダフィ支持派による抵抗も、未だに続いているし、ICC(国際刑事裁判所)による戦争犯罪者に対する裁判も全く進んでいない。
ロシアの中東専門家ガリヴォフ・コンスタンチン氏は、この報告のなかで、西側諸国が進めたリビア革命という名の新植民地戦争は、混乱と犠牲だけをリビアにもたらした、と言いたいのではないのか。