革命からほぼ1年が経過したいま、カダフィ大佐殺害から5カ月が経過したいま、リビアでは東西分割の話が現実化しつつあるようだ。
そもそも、リビアは王制時代には3つの地域に分けられており、それが緩やかな国家を形成していたという感じではなかったのか。リビアの東部はキレナイカ、西武はトリポリタニア、南部はフェザーンと呼ばれていた。
二都物語ではないが、首都にはキレナイカ地方のベンガジと、トリポリタニア地方のトリポリの二つの都市が定められていた。それがカダフィ大佐の革命後、トリポリ一か所になったのだ。
しかし、それは当然の帰結として東西の対立を生むことになり、カダフィ大佐はリビアの中間地点にあるシルテを、新首都にするよう計画を進めた。しかし、やはりトリポリの便利さとインフラの整備状態には勝てず、シルテをカダフィ大佐が使用するのは、限られたセレモニー的な催し物や、外国要人との接見の場合だけだった。
今回の革命が成功した後は、実質的にトリポリが首都という動きが進んでいたが、キレナイカの人士はそれに腹を立てたのであろうか、あるいはリビア東部に油田が集中しているという、経済的メリットを考慮したからであろうか。
リビア東部の自治に向けて3月6日、イドリス・サヌーシー元国王の甥であるアハマド・ズベール・サヌーシー氏を代表者として担ぎ出している。彼は1970年代に、反カダフィの革命を計画したかどで逮捕され、2001年まで投獄されていた人物だ。
リビア東部の住民が、今回の分離による自治権要求を出したのは、国会の議席配分をめぐり、トリポリタニアが102人に対し、キレナイカ側には60議席しか与えなかったからだ、ということとも理由として挙げられている。
こうした動きに対し、臨時政府代表のアブドッジャリール氏は、外国の陰謀にそそのかされたのだと、暗に英米を非難している。それはほぼ間違いあるまい。