シリアに対する世界の風当たりは、日増しに強くなってきている。5000人とも7000人とも言われる、犠牲者が出ているだけに、シリアのアサド政権を支持することを、大声で叫ぶのは困難な雰囲気が、世界中を包み込んでいるのだ。
そうしたなかで、これまで本部をシリアのダマスカスに置いていた、パレスチナのハマースが、遂にシリア離れを明確にした。パレスチナのガザでは、アサド体制に対する、大規模な抗議デモが行われ、ガザの住民はシリアの反体制派を、支持することを明らかにした。
今回のハマースのシリア離れは、そうした流れのなかで起こったものだった。もちろん、それに先駆けて、ハマースとファタハの和解が生まれ、その後、ハマースのミシャアル氏がヨルダンを訪問し、シリアのダマスカスに代わる本部の事務所を、暗にヨルダンのアンマンに開設する意向を示した。
このハマースの路線変更の裏には、カタールの強い働きかけがあったが、その裏には、アメリカの意向が存在したのであろう。カタールがハマースを説得できたのは、金銭的援助であったろう。膨大なガス輸出によって得られる収入が、ハマースに対して説得力を持ったのであろう。もちろんそのことに加え、権力側の弾圧に対して抵抗を続ける、シリア国民を無視するわけには、いかなかったのでもあろう。
チュニジアではシリアの反体制を支持する、国際会議が開催され、アメリカからはヒラリー・クリントン女史が、この会議に乗り込んでいる。会議場の外では、小規模な反対デモがあったようだが、そのことは会議の流れを、変えるには到らなかった。
さて、そうした世界の流れに反して、ロシアはいまだに、シリアのアサド体制支持の立場を堅持している。それは、シリアとの良好な関係無しには、ロシアの中東地域での活動が、大幅に制約されるからに他ならない。ロシアにしてみれば、同国の海軍が地中海地域で自由に活動する上で、唯一利用可能な軍港が、シリアのタルトース港なのだ。
もし、このタルトース港を利用できなくなるとすれば、ロシアは地中海地域を始めとする、中東地域での軍事作戦を、大幅に変更させられ、かつ縮小させられることになろう。もう一つの友好国であったリビアも、現在では欧米の支配下に置かれており、ロシア海軍がリビアの港を使うことは、不可能になっている。
そうした事情から、ロシアはシリアのアサド政権を、支持する姿勢を堅持しているが、これから先もそうなのであろうか。これだけ多くの犠牲者を出したシリア内乱は、結局のところアサド憎し、アサドは許せない、という感情を世界的に燃え上がらせ、カダフィの最後のような結末に、到るのではないか。
ロシアの外交方針は義理と人情で、決められているわけではない。あくまでも自国の利益を最優先して、種々の決定が下されているものと思われる。そうであるとすれば、近い将来、ロシアも他の国々と同じように、アサド体制に背を向ける時が来るのではないか。
ロシアはそのことによって、アサド体制崩壊後のタルトース港の利用権を、維持しようとするのではないのか。つまり、シリアに対するロシアの対応の変化が、近い将来、アメリカとの取引材料に、なるのではないかということだ。アメリカもロシアもシリアのために、戦争をする気は毛頭無かろう。