各位へ
昨年は『革命と独裁のアラブ』をダイヤモンド社から出版し、好評いただき、ありがとうございました。今年はトルコをテーマに『これから50年、世界はトルコを中心に回る』をプレジデント社から2月15日に出版しました。
有り難いことに早速、日本在住のトルコの友人たちが本を読んでくれ、丁寧に間違いと思われる個所を、指摘してくれました。
その指摘のうちの幾つかは、日本人からすればあまり問題のないことだったので、そのままにしますが、問題と思われる個所については、この場を通じてお伝えしたいと思います。
『訂正個所』
P/49(右から四行目)
「タリーカ」
ヒズメットがタリーカではない、ということは通説になっています。ヒズメットとタリーカの間には多くの相違点あるとされますが、主なものとして次のようなことが挙げられます。
タリーカのアプローチは、社会から内へという方向性があります。つまり、タリーカに外から入ることは難しく、タリーカのメンバーになるためには儀式が必要です。
これに対し、ヒズメットは、社会の中で生まれ、また社会に受け入れられることによって広がります。参加も自由です。入ることも簡単で、退会も個人の判断によって簡単にできます。登録もありません。
タリーカには、シャイフがいて、このシャイフに特定の系譜(スィルスィラ)があります。またタリーカには、ダルガー(修道場)が必要です。タリーカには特定の儀式(ズィクル)があり、タリーカの信奉者はこの儀式に参加しなければなりません。
ヒズメットは、これらの特徴をもっていません。たしかにヒズメットは、寛容、兄弟愛、神への愛など、スーフィズムから多大に思想的な影響を受けてはいますが、組織的には影響を受けていません。
また、ヒズメットにあってタリーカにない特徴もあります。たとえば、ヒズメットは幅広い分野で活躍しています。教育活動、メディア、宗教間対話、銀行等です。ヒズメットが社会のあらゆる側面に変化を起こす、一種の社会運動であるのに対し、タリーカは社会の一部の人たちの間でのみ機能する、個々人の心の中に変化を起こすものであると言えます。社会にオープンなアプローチはしません。
:タリーカは秘密結社という意味合いが強いので訂正します。
P/52
右から2行目
「14歳になったとき。。。アナトリアのモスク」
実は、トルコ全土ではなく、父がイマームだった村のモスクのみに説教をしています。アナトリアのモスクへの説教師のことは30年代以降のことです。
:これは訂正します。
右から2行目
「聖職者」
イスラームでは、聖職者という職位はありません。確かに、イマームいう存在がありますが、これは聖職者ではありません。イマームは、実際には誰でもなることができます。イマームという言葉を訳すならば、「モスクの宗務責任者」にあたります。同じページと次のページに「イマーム」の称号が使用されていますので、これに統一したほうが良いと思いました。
:イスラームには聖職者という職業はないが宗教に関係して一生を過ごす人もいるわけですから日本人の認識では聖職者となると思います。
右から8行目
イラクのフセイン、エジプトのナセル等と並べて比較するのは誤解を起こす恐れがあります。彼らは政治家であって、結果的には武力によって多くの人を死なせました。ギュレン氏には、政治的な目的がなく、生命を重視する姿勢など、彼らとは色々な面で異なります。この比較は無い方が良かったのではないでしょうか...。
:これは誤解を生じないために訂正します。
P/62
右から4行目から
「そう断言する者もいる。お分かりのようにギュレンという存在は半ば伝説化され、今や神格化されている感がある」
神学的に、イスラームは人間を神格化しません。神と人間の間には明確なラインがあるのです。それは、神は創造主で、人間はその被造物であるという事です。人間の中で最も素晴らしい人間は預言ですが、ギュレンは預言者ですらありません。彼は、一人間でありながらも社会秩序の崩れを非常に危惧する人なので、同じような問題意識を持つ人たちから特別に尊敬されているだけです。誰も彼を神のような存在などと思うことはありえません。
:日本では立派な人のことを、神のようなという表現をしますから、イスラム世界の認識とは少し異なります。神格化されたという言葉は、非常に尊敬されているという意味でもあります。しかし、説明が必要でしょうから訂正します。
右から6行目から
「政治や経済問題に関する講釈」