2003年に、イラクがアメリカ軍によって攻撃され、サダム体制が打倒された後、イラクの国内は民主化が進むのではなく、内乱状態に陥った。そのため、多くのイラク人が難民として、シリアに逃れて生活していた。
加えて、イラク人の間で、シーア派対スンニー派の宗派対立が起こると、多くのシリア人がイラクのスンニー派の人たちに対し、武器や資金、戦闘員を送ってくれた。
いまイラクの国内で、この時のシリア人の恩義に報いるべきだと考える、イラク人スンニー派の人たちが増えている。ある人たちは、煙草の空箱に銃器の部品を詰めて密輸しているし、ある人たちは義捐金を募っているようだ。
イラク人スンニー派の人たち、なかでもモ-スルやアンバルの人たちは、義勇軍を送り出し始めている。このためモースルでは、これまで300ドルで取り引きされていた機関銃が、2000ドルに跳ね上がったということだ。
アラブの国内問題、その結果としての戦闘は、国家や国境をまたがって、展開するようになってきている。英仏によって人工的に引かれた国境線をまたいで、同じ部族の人たちが居住しているのだから無理もない。シリアとイラクの場合も、それに当てはまる。イラクの部族の人たちが苦しい時には、シリアの同じ部族の人たちが支援を送り、その逆もあるのだ。
イラクとシリアばかりではなく今回のシリアの内乱のなかで、レバノンとシリアとの間でも、同じような支援活動が見られる。ここでも、国境をまたいで同じ部族が、棲みついているのだ。1975年に始まった、レバノンの15年に及んだ内戦時、シリアはレバノンからの難民を、受け入れてくれていたのだ。
問題はイラクのスンニー派国民が、シリアのアサド体制に対抗する勢力を支援していることが、イランの利益に直接的に、関わってくるということだ。シリアのアサド体制は、イランと強い連帯関係にあり、シリアはイランのアラブ世界台頭の、橋頭保になっていたのだ。
そのシリアを死守することは、イランの中東戦略上、極めて重要なことだ。このためシリアに向かうスンニー派イラク人を、イラク国内にとどめ置くために、イランはイラクのシーア派に、スンニー派との戦闘を始めさせるかも知れない。