「アサドもカダフィと同じ運命を選ぶのか」

2012年2月 1日

 シリアの情勢が、どうやら最終段階を、迎えているようだ。国連安保理がより厳しい制裁を、シリアのアサド体制に突きつけることは、ほぼ確実であろう。しかも、それはシリアが所属する、アラブ連盟の要請によって行われるのだ。
 トルコは今日の様な状況に、シリアのアサド大統領が直面することを予測し、5~6年前から民主化を進めるよう、助言してきていた。しかも、その民主化は通常のレベルではなく、抜本的なもので無ければならない、とも説得してきていた。
 しかし、アサド大統領はこのトルコの助言を、聞き入れることが出来なかった。それは、アサド大統領が頑迷だったからだとは思えない。彼を取り巻くシリアの権力者集団の、意向であったろうと思われる。
アサド大統領は父親のハーフェズ・アサド氏が大頭領の時代に、次男であったことから、政治ではなく医学の道に進むよう、イギリスに留学させられているからだ。彼には民主主義とはどのようなものなのか、実際に生活を通じて体験して、分かっていたものと思われる。
残念なことに、彼の兄バーセルの事故死により、彼は急遽帰国させられ、父の後を継ぐことを運命付けられ、大統領に就任している。マイノリテイのアラウイー派の権力集団は、彼をトップに据えることによって、安堵したものと思われる。
しかし、今は状況が全く変わった。アサド政権は風前の灯、となっているのだ。取り巻きの勧めによる強圧政策は、国民の反発を強め、既に後退出来ないところまで来ている。
アサド大統領が試みた、土壇場の妥協と政治改革は、ことごとく反政府勢力によって拒否され、妥協の余地は残されていない。アラブ連盟が送った調査団も、彼に味方してはくれなかった。
ここまで来ると、アサド大統領に残された道は、他国に亡命するか、力で最後まで勝負するしかあるまい。そうしたなかで『アサド大統領はカダフィ大佐と同じ道を選択するだろう。』という予測が出始めている。つまりシリアの国内で死亡するということだ。
彼の妻子と家族親族は、既に国外脱出を試みたようだが、失敗に終わっている。大統領宮殿からたった訳8キロしか離れていない空港に到着し、国外に脱出することが出来なかったのだ。
それは大統領宮殿から空港までの道が、既に反体制派によって、制圧されていたからに他ならない。彼の妻アスマ夫人は、才色兼備の女性として、国際的にも著名だが、彼女は二人の子供と共に、国外脱出することが出来ず、大統領宮殿に逃げ帰ったと伝えられている。
この段階に到っては、アラブ諸国もなかなか、受け入れると言い出す国が、出てこないのではないか。それは湾岸王制諸国が、こぞってアサド体制に、批判的であったからだ。それはアサド大統領と、湾岸諸国の宿敵であるイランとの関係が、強かったからであろう。
ロシアやイランは受け入れる可能性が高かろうが、問題は脱出手段が無いということだ。どこかの国あるいは機関が仲介に入り、アサド大統領が全面的に権力を放棄して、大統領の座から降りることを決断し、その仲介を受け入れれば、あるいは可能性があるかもしれない。
その場合、残されたアラウイー派の、権力中枢に位置している人たちと、彼らの家族の運命はどうなるのか。多分、皆殺しになる危険性が、高いのではないか。5000人を超える死者を出したシリアの革命は、残虐で悲劇的な結末を向かえそうだ。