世俗主義の若者を中心に拡大発展し、最終的に独裁体制を打倒することに成功した、北アフリカの革命運動がいま、第二段階に入り始めたようだ。それは、この革命の成果を横取りした、イスラム勢力が大衆の反発を、受け始めているのだ。
エジプトではすでに、ムスリム同胞団に対する不審の念が、強まっていることを報告したが、チュニジアでも同じように、あるいはエジプト以上に激しい、反イスラミスト運動が始まっている。
チュニジアの場合はナハダ党(イスラム原理主義)が、トルコのAKP ( 発展公正党)に似た、政治方針を採ることを歌い文句にし、先の選挙で大勝利しているが、その後の動向を見ていると、必ずしもトルコのAKPと、類似しているとは、言い難い部分が多いようだ。
問題は、ナハダ党がイスラム原理主義色を強めたというよりも、他のイスラム原理主義組織の動きを、規制出来無いでいるということだ。サラフィスト・グループ(イスラム原理主義組織)が次第に、イスラム色を濃く打ち出し始めているのだ。
例えば、女性がジーンズをはくことに対し、嫌悪感を口にして非難したり、女子学生が顔を全面的に覆う(ニカーブ)ことを、禁止した大学に対し、抗議の座り込みを、し始めているのだ。
当然のことながら、こうしたイスラミストの暴走に対し、世俗派のチュニジア国民が、抗議の姿勢を採り始めた。先週の土曜日1月29日には、チュニジアの首都チュニス市のボルギバ通りで、大規模な抗議デモが行われた。
そのなかには、多くの女性が参加していたことは述べるまでも無い。ボルギバ大統領が進めた、先進的で教育重視の方針が、いま完全に躓いているということであろう。これまで教員をしていた女性は『チュニジアを14世紀に戻す気か』と怒りを露にしている。
このチュニジアの動きは、やがてエジプトにも伝わるだろう。エジプトは何事につけ、アラブのなかで最も早く、一番前に出たいと考える国民性だからだ。先の革命運動でも、チュニジアに先を越されたことを、悔しがっていたが、今回もまたチュニジアに、先を越された感じになっている。
エジプト国民は現段階では、一日も早い権力の委譲を、軍から文民政府にと要求しているが、最終的に、エジプトの混乱を抑えうるのは、軍だということを熟知している。
言ってみれば、現段階の軍に対する、一部エジプト国民の反発は、駄々をこねているような、甘えの精神からであろう。チュニジアで始まり、やがてはエジプトでも始まる、イスラミストへの反発の動きは、革命の第二段階が始まったということか。