「世俗派とムスリム同胞団の対立開始」

2012年1月28日

 

 125日はエジプトの革命記念日だったが、そこで新しい動きが、明確に表面化してきた。それは革命を成功させた若者たちの世俗派と、革命の成果を横取りしたムスリム同胞団との間に、明確な亀裂が見え始めたのだ。

 当然のことであろう。若者たちにしてみれば、自分たちが命がけで成功に導いた革命の成果を、ムスリム同胞団が横取りしたのだから。しかも、革命後、世俗派は憲法改正後に、選挙を行うべきだと主張したが、ムスリム同胞団は選挙を先にして、憲法改正は後回しにすると主張した。

 それは組織力と資金力を持つ、ムスリム同胞団が選挙で、確実に勝利できると踏んでいたからであろう。国会で多数派になってしまえば、ムスリム同胞団はどのようにでも好きなように、憲法を変えることが出来るからだ。

 革命記念の日、その舞台となった革命広場(メイダーン・タハリール)には、世俗派の人たちと、ムスリム同胞団のメンバーが集まった。そこで世俗派の若者たちが、ムスリム同胞団のメンバーに対して『ムスリム同胞団は軍のリーダーと妥協した。』『お前たちは革命を売り飛ばした』と非難のシュプレヒコールを繰り返したのだ。

 ムスリム同胞団の幹部が、舞台に上がって演説を始めると、世俗派の人たちは靴を手にかざして、抗議のジェスチュアーを示した。これをアズハル大学の教員がなだめ『我々は一体なのだから止めろ』と言っても聞き入れなかった。

 革命は若者たちが始め、成功まで導いたのだ。その過程では何人もの若者たちが犠牲となっているのだ。しかし、ムスリム同胞団のメンバーからは、一人の犠牲者も出ていないのだから、若者たちが怒るのは当然であろう。

そして、革命後の選挙ではムスリム同胞団が、45パーセントを超える議席数を獲得しており、与党になり権力を手にすることは確実だ。時間の問題でムスリム同胞団はシャリーア(イスラム法)を、新たな法律のなかに、組み込んでいくものと思われる。

ムスリム同胞団の幹部は、シャリーアの施行については、段階を追って進めていく方針であろうが、もう一つのヌール党(イスラム原理主義のサラフィスト政党)がやはり、25パーセント以上の議席を獲得していることから、シャリーアの施行を急がなければならない状況に、追い込まれている。

ムスリム同胞団は述べるまでも無く、イスラム原理主義の組織であり、戦術的には緩やかなシャリーアの導入を考えていても、それを行わないということではない。やがてはシャリーアが、エジプトの主たる法源になる時が来よう。

それを急がせるのが、同じイスラム原理主義のヌール党だ。ヌール党は即刻イスラム法を採り入れ、実行することを強く希望しているからだ。そうなれば若者たちはますます、ムスリム同胞団とは相容れない、動きをしていくことになろう。

エジプト航空は415日から、カイロ~成田便を、週2便飛ばすことを決めたようだ。しかし、これまで説明してきたように、エジプトはまだ観光に出かけることが出来る状態にまでは、安定していないのだ。エジプト政府はできるだけ早く、外貨を手に入れたいと思っていようから、安全だと主張しよう。

日本の旅行業者は現地ホテル代や、現地旅行会社の代金を、徹底的に叩けることから、以前にも増してエジプト・ツアーはドル箱コースとなっている。従って日本の旅行業者は、一日も早くエジプト・ツアーを始めたいだろう。

相手国政府の要請と、旅行業者の要請を受け、在エジプト日本大使館は危険度を、ワン・ランクもツー・ランクも、下げるのではないかと心配だ。