「エジプト軍はなぜ戒厳令を解除したのか」

2012年1月26日

 エジプトの革命は、1月25日で1周年を迎えた。これを機に、エジプト国軍はこれまで長い間施行させてきた、戒厳令を解除することを決定した。ある意味では、思い切った決断であったと思う。

 そもそも、エジプトの戒厳令は、社会が不穏な状況になった場合、早急な対応を採ることを目的とし、ナセル大統領の時代から、施行されてきたものだ。

つまり、1967年に起こった第3次中東戦争を前に、ナセル大統領は国内の安定を図ると共に、イスラエル側の破壊工作や諜報活動を、抑え込むために設けたものであった。

その後、ナセル大統領の死去に伴い、サダト大統領の時代に入るが、サダト大統領は就任当初、戒厳令を解除はしなかったものの、極めて緩やかなものに留めていた。

それが再度強い拘束力を持つに至ったのは、国内の物価値上げや、基礎食品に対する政府の補助金カットなどで、社会混乱が生じ、再度強化されたのだ。そして、それはサダト大統領死去の日まで続いていた。

サダト大統領の死去の後、ムバーラク大統領が就任するが、彼も政権を掌握した段階では、国民に対する人気取りということもあってか、戒厳令の施行は、厳しいものにはしなかった。

それが再度強化されるようになったのは、ムバーラク政権末期の大衆運動に合わせてであった。それがムバーラク体制打倒後にまで続いていた、というのが実情だ。

今回、エジプトの権力側にとって、伝家の宝刀ともいえる戒厳令が、あっさり解除されたわけだが、その真相はどうなのであろうか。

考えられることは、国会議員選挙が実施され。民間の政府が出来上がっていくなかで、ムスリム同胞団がその主役となったことにあるのではないか。革命に成功した大衆は、軍が権力を掌握したままであることに、反発し抗議している。そこで軍は、民間に権力を移譲すると共に、国の安定についても、一旦責任を放棄するという選択をしたのではないか。

これからは与党である、ムスリム同胞団の自由公正党が、国家の治安維持責任を担うことになるのだ。軍は政府の要請がない限り、動かないということであろう。

そうなると、与党は今後、必要に応じて与党の責任の下に、軍に対し治安維持の要請を、することになるということだ。その場合、大衆から非難を受けるのは、軍ではなく軍に治安出動を要請した、与党自由公正党(ムスリム同胞団)に非難の矛先が向けられることになろう。

軍は今回の戒厳令解除をもって、与党自由公正党(ムスリム同胞団)に対し、お手並み拝見という姿勢を、採ったということではないのか。実際に1月25日の革命記念日に、軍は出動していないのだ。