ガザで結成されたムスリム同胞団を母体とするハマースは、これまでイスラエルに対し、徹底武力闘争方針を貫いてきた。そのために、イスラエルからガザが攻撃を受甚大な被害を生み出してもいる。
しかし、遅々として進まないパレスチナ問題解決に、憤りを感じている多くのパレスチナ人は、ハマースの支持に回るようになっている。特に、しばらく停止していたイスラエルとPAとの交渉が、ヨルダンのアンマンで再開されると、パレスチナ人たちは口をそろえて『一体何の見返りがあったのか?』『一体何の見返りを期待できるのか?』とPAに対し疑問を投げかけている。
それではこの先、ハマースは今までと同じような、強硬路線を踏襲していくのだろうか。実は少し違う流れが、ハマースのなかで始まっているようだ。それは少なからず、アラブの春の影響を、受けているようだ。
ハマースはチュニジアやエジプトの革命が成功したのは、穏健な闘争方針の成果だったと判断したようだ。そこで、ハマースも穏健な抵抗路線に変更しようとしているようだ。
具体的には、シリアのダマスカスに本部を置き、そこを拠点として活動していた、ハマースのトップが辞任を決め、次のハマースのトップ選挙には立候補しない、と言いだしているのだ。
他方、ガザに拠点を置き抵抗運動を続けてきた、イスマイル・ハニヤ氏はエジプト、チュニジア、スーダン、トルコ、カタール、イランを歴訪し、アラブの春革命とはなんであったのかを、調査したようだ。結果的に、彼はハマースの代表としての、人脈も広げることになった。
ハーリド・ミシャアル氏はダマスカスの本部を閉鎖し、ヨルダンに移住する見込みのようだ。それがかなわなければ、ガザに移り住むことになろう。ヨルダン政府が彼を受け入れ、居住を認めるか否かが、今後の焦点の一つであろう。
一説には、ハーリド・ミシャアル氏がダマスカスを離れる決断をしたのは、シリア政府がムスリム同胞団員を虐待殺害していることに、我慢が出来なかったからだという説もあるが、それは主因ではあるまい。ハマースは闘争方針を変革したいのであろう。
穏健路線に切り替えることによって、イスラエル側にハマースを認めさせ、交渉を進めていくということであろう。ハマースはマハムード・アッバース議長が提案した5月の選挙で勝利し、権力を掌中に収める可能性が高い。そうなれば、イスラエルもハマースのメンバーである、パレスチナ自治政府の高官を、無視するわけにはいかなくなるだろう。
ハーリド・ミシャアル氏がハマースのトップの座に留まれたのは、シリアとイランからの資金援助にあったわけだが、イスマイル・ハニヤ氏は今後、カタールを始めとする、湾岸諸国をスポンサーにしていくのではないか。それは、ハマースが穏健化していくことが、条件となろう。そして、それはハマースが国際社会に、受け入れられていくことにつながろう。