「後退する国と前進する国」

2012年1月22日

 

 マレーシアにいって感じたことは、新興国の人たちは、いろいろな新しいことを考えている、ということだった。新興国のエリートたちは、自国で学ぶのはもちろんだが、外国に行って学び、自国と先進国とを比較しながら、何が必要なのかを、考えているようだ。

 前に少し触れたが、日本のエリートのほとんどの人たちは、トップ校を卒業した後は、あまり学ぼうとしていないのではないか。もちろん、日本のエリートたちでも、欧米に留学する人たちの数は、少なくないだろう。

 問題は彼らが現地で、謙虚に学んでいるか否かだ。相手国のよくないことだけに目に付き、日本のほうが優れていると思う人が、少なくないのではないか。そして、もう一つのパターンは、闇雲に相手国を高く評価し、比較しながら考えることを、怠っているのではないだろうか。

 友人からのメールで、そうした懸念を一層強くした。ソニーの出井前社長がテレビ番組の中で、アップルとの協力の話を断ったのは『社風を変えてまでアップルと付き合うことに抵抗があったからだった。』ということだ。

 出井前社長は自身に、先見の明が無かったからだ、と反省していたそうだが、それはいまの日本社会では、トップが陥る失敗の、好例ではないだろうか。一定の価値観のなかで、社員一致の精神に重点が置かれ、思い切った変革をするよりも『現状維持のほうが安全』だと考えるのだ。

 友人はそうした国家は、衰退期に入っているのだ、と推測していた。出井前社長は『日本に残された時間はあと3年だ』とも語っていたということだ。正確には『日本は〝最後の三年〟に入りました』というものだった。

 そして彼は『20世紀の成功の上に21世紀の成功は無い』とも語っていたということだ。

 東北震災から既に、1年が過ぎようとしている。この震災は考えようによっては、活力を失っていた日本の経済にとって、またとない再活性化のチャンスであったはずだ。しかし、政治的決断の遅滞、官僚の事なかれ主義が、折角のチャンスを放置して、全てが手遅れになっているのではないか。

 地震や津波で分かったように、さっき来た道は破壊されて、無くなっているのだ。来た道を戻れば元の場所にたどり着く、という発想は捨てなければならない。その小さな勇気を日本人が皆で持つとき、出井前社長の言う『あと3年』が『あと10年』になり、新たな動きを開始し『あと2030年』になっていくものと思われる。