カダフィ大佐が一番激論を交わし喧嘩をした息子、それはサイフルイスラームだった。彼は父親カダフィ大佐の無軌道は国内統治に、何度となく反対をし、大喧嘩になっていた。
ヨーロッパで高等教育を受けたサイフルイスラームにしてみれば、父親の部族的政治は極めて時代遅れのものに、感じていたのであろう。しかし、カダフィ大佐はこの次男坊と、何度となく口論していたが、サイフルイスラームを一番信頼していたのではないか。
そして、リビアの内紛が始まってみると、サイフルイスラームは最も勇敢に、父親の側について戦った。そのことが国際刑事裁判所(ICC)とリビア政府から、人道上の犯罪者として槍玉に挙げられる原因となった。
リビアの革命運動が何のことはない、欧米によるリビアに対する新植民地支配のための、軍事行動であったという認識に立つカダフィ大佐と、彼の子息サイフルイスラームにしてみれば、徹底抗戦するのは当然のことであったろう。
さて、カダフィ大佐は最終的には革命派の若者の銃弾で斃れたが、サイフルイスラームはその後、ニジェールへの逃亡を図っていたが、途中で革命派に捕まってしまった。
以後、彼はズリテンのどこかに監禁されている(監禁場所は不明とされている)。革命政府は国民感情を考え、彼を国内で裁判にかける方針だ。しかし、国際刑事裁判所(ICC)はサイフルイスラームがカダフィ大佐同様に、暴漢の手によって殺害されることを懸念し、一日も早い引き渡しをリビア政府側に、要求している。
リビア政府は国際的な同政府に対する評価を考慮し、何とか無事に国際刑事裁判所に、サイフルイスラームを引き渡したい、と考えているのであろう。しかし、彼を捕まえているグループは、そのことで政府との交渉をしようと、思っているのであろう。そのため、思うように国際刑事裁判所への引き渡しが、出来ない。リビア政府は国際刑事裁判所に対し、3週間の引き渡し遅延を、要請している。
さあ、サイフルイスラームは無事に、国際刑事裁判所側に引き渡されるのだろうか。あるいは、その前にリビア国内で、殺害されてしまうのであろうか。
殺害される可能性は、彼を捉えているメンバーが最終的に、引き渡しを拒否して殺害してしまうということだ。次いで考えられるのは、未だに多数残っているカダフィ派の戦闘員が、サイフルイスラーム奪還作戦を遂行し、その戦闘のなかで流れ弾に当たって、死亡するということだ。そして、もう一つの可能性は、リビア国内の裁判で死刑判決が出、処刑されることだ。
そのいずれでもないことを祈る、親孝行息子、開明派のサイフルイスラームが、無事であることを祈る。