「カタールとサウジアラビア関係が悪化の一途?」

2012年1月 2日

 

 既に何度か書いたが、どうも湾岸諸国会議のメンバー同士である、カタールとサウジアラビアとの関係が、悪化しているようだ。カタールのェイク・ハムド・ビン・ジャーシム・アルサーニ首相が、サウジアラビアの軍隊は腑抜けであり恐れるに足りない、サウジアラビアのアブドッラー国王は、老齢化しすぎている、サウジアラビアの体制はカタールによって、非常に近い将来打倒される、サウジアラビアのアルカテイ-フの住民は、カタール軍が侵攻占領することによって救われる、といった過激な発言をしている。

 カタールが何故こうも強気の発言を行っているのかといえば、湾岸最大のアメリカの軍事基地が、サウジアラビアからカタールに、移っていることにあろう。まさに『虎の衣を借りる』というやつであろう。

 カタールは以前何かにつけて、サウジアラビアに意地悪されてきていたことも事実だ。領土問題ではカタールが大幅に譲歩して、最終的な国境線が定まったといわれている。

それでもカタールはまだましであろう、コーズイウエー橋でつながれたバハレーンは、国家というよりはサウジアラビア国民の、歓楽街に変貌しているのだ。サウジアラビア国民がこの橋を渡ってバハレーン入国し、酒を飲み、夜を楽しんでは、帰国しているのだ。

カタールはそうしたこともあってであろうか、ワッハーブ派のイスラム原理主義は、自国が総本山だという意志表示をした。カタール政府はそれを意図していなかったとしても、サウジアラビアにすればそう取れるものであろう。カタールに出来た最大のモスクの名前が、ムハンマド・イブン・アブドルワッハーブだからだ。

ワッハーブといえば、イブンサウドに並ぶ、サウジアラビア建国のもう一人の主役である人物なのだ。このワッハーブ家とサウド家が手を結び、サウジアラビア建国に成功したのだ。

しかし、最近ではワッハーブ家の権限が、次第に低下し、不満が大きくなってきている。それは当然サウド家とワッハーブ家との関係が、悪化してきているということでもある。

そのことを意識したカタールが敢えてワッハーブの名前を、同国最大のモスクに付けたのであろう。カタールはエジプトのムスリム同胞団最大幹部である、カルダーウイ師も受け入れており、イスラムのもう一つの中心地だ、という意識を強めているのかもしれない。

カタール政府が莫大なガス収入で建設したイスラム博物館には、世界中から貴重なイスラム関連の物品や資料が、集められているということだ。もちろん、カタールの大学は世界中からムスリム学生を受け入れてもいる。

さて、カタールとサウジアラビアとの関係は、悪化する部分だけであろうか。実はシリア対応をめぐっては、カタールとサウジアラビアとの間には、意外な連携関係が見られる。ワッハーブ軍団なるものが、カタールとサウジアラビアとの協力の下に結成され、シリアの革命派側を支援しているということだ。

カタール政府もサウジアラビア政府も、シリアの反体制派に資金と武器を提供しており、そのルートはトルコとイラクが担っている。ワッハーブ軍団は2500人が募集され、そのうち1000人はリビアのイスラム戦闘グループの、メンバーだということだ。ワッハーブ軍団は昨年末から、シリアの反体制派と共に、シリア国内で戦い始めているということだ。

この動きの裏には、アメリカとNATOが存在することは、疑う余地が無かろう。カタールのサウジアラビアに対する非難と暴言も、アメリカが仕掛けた湾岸諸国分断の、作戦の一部ではないか。それに乗ることのリスクは、カタールとサウジアラビア双方が、将来、蒙ることになろう。