「クルド人空爆殺トルコの過失責任と同情」

2011年12月30日

 

 年末のぎりぎりの段階で、トルコは二つの苦しみに板ばさみにあっている。一つはアルメニア問題で、フランス議会がアルメニア問題を否定する者に対し、厳罰に処することを決定したことだ。

 トルコはこの問題で、フランスの歴史的犯罪を取り上げ反論し、誰にも歴史的過失はあるとしたのは、お見事といっていいだろう。それは日本にも中国にも韓国にも、当てはまることではないか。

 第二の問題は反論の余地の無いものだった。クルド人がイラク北部から、密輸を目的に、トルコ領に侵入したのを、トルコ軍はPKK(クルド労働党)のゲリラと勘違いして空爆し、36人を殺害した出来事だった。

 侵入者の発見はいいのだが、それが密輸を目的とする人たちなのか、PKKのゲリラなのかまでは、見分けがつかなかったようだ。夜のことでありしかも、無人機の送る情報に基づいての空爆だったようだ。

 この場合、トルコ側には密輸業者を殺害する意図は、全く無かったのではないか。しかし、犠牲者が出たことは事実であり、弁明の余地は無かろう。トルコ政府はこの間違いをただちに認め、責任の所在を確認している。

 写真で見るところ、空爆現場には相当数のクルド人が集まっているが、これはどうしたことなのだろうか。一見不法侵入者たちは密輸だけではなく、イラクからトルコ側に亡命することを、目的としていたのではないかとさえも、考えたくなる数なのだ。しかも、犠牲者のなかには少年も、多数含まれていたようだ。

 彼らはイラク側から石油やタバコなどをトルコ側に密輸し、トルコ側からは砂糖お茶などを買っていたようだ。問題はこの密輸業者とPKKとの関係があることだ。つまり、イラクのクルド人密輸業者は一般人ではあるが、PKKの支援者でもあるということだ。

 いずれにしろこの出来事は、今後に影響を与えるものと思われる。PKKは報復を叫び、その成果が上がればクルド人は感情的に、そのPKKの成果を賞賛することになろう。

 こうした出来事の根本に横たわっているのは、貧困であり差別であり、憎しみであろう。それが際限も無く続くことの無いようにするには、トルコとクルド双方の歩み寄りが必要であろう。

 誰がどう悪いかということはそれぞれに言い分があろう。相手を責めるのではなく、双方が分かり合える環境を作ることが優先されよう。その意味ではトルコ政府が今回の失敗を、いち早く認めたことは正しい対応であったろう。