「シリアの爆弾テロは末期症状の現れか」

2011年12月24日

 シリアの首都ダマスカス市にある、治安本部の事務所を狙った、爆弾テロが起こった。その爆弾テロにより、50人以上の人たちが死亡している。シリア人の性格から考えると、これは末期症状と言わざるを得ないのではないか。

 シリア人はアラブ世界にあって極めて謙虚であり、穏健であり、賢い人種と評されてきている。シリアは過去にイスラエルと起こった戦争でも、勝ち目が無いと分ると、何の躊躇も無く停戦に踏み切ってきている。

そのことを『シリア人は臆病だ』と評するアラブ人もいるが、それは臆病なのではなく、現実的な思考と判断がシリア人には出来る、ということであろう。

そうしたシリア人の性質からか、アサド体制は故ハーフェズ・アサド大統領の時代から数えると、既に40年にも及んでいる。それは流血の事態を起こすことが、結果的には国家としても個人としても、得る部分よりも失う部分の方が多い、と判断していたからではないか。

今回シリアで始まった、アラブの春革命に連動する動きは、これまでのシリア人の優れた特徴を、拭い去り始めているのではないか。反体制運動が長期化し、国民の間に多数の死傷者が出ているが、軍や警察のなかからも、相当数の犠牲者が出ている。

アラブ連盟が調査団を送ろうとした矢先には、100人以上とも言われる犠牲が国民の間から出ているし、それに続いて、今回の爆弾テロが起こっているのだ。あまりにも酷い状況が、堅実な考え方をするシリア人の感覚を、破壊したのかも知れない。

アラブ紙が書いていたが『もう死を恐れる国民は、シリアにはいなくなった』ということは事実かもしれない。もちろん、シリア人も人間である以上、死を恐れないはずは無い。しかしその恐れの度合いが、相当低下してきている、ということであろう。

シリア政府は今回の爆破犯を、アルカーイダに結び付けようとしているが、それは断定できないのではないか。アルカーイダによる単独犯はありえないのだから、シリア人の協力があった、あるいはシリア人とアルカーイダとの間には、協力体制が既に出来ているのかもしれない。

私はこうした類の犯行を簡単に、アルカーイダの責任にしてしまうのは嫌いだが、シリア国民が限界点に達したからこそ、アルカーイダ的な犯行が、起こるのではないのか。

アルカーイダはあくまでも、極端な犯行を説明する上での、便利なトレードマークかもしれない。外国からの介入、アルカーイダの犯行、アルカーイダはCIAが創った、という単純な論理の展開で片付けられるほど、事態は簡単ではないだろう。

そもそも、こうした事態にシリアが到った原因は何かを、真剣に考えるべき時期が、既に到達しているのだから。