イラクのマリキー首相がアメリカを訪問し、ホワイト・ハウス内でオバマ大統領と親しく、二国間関係について討議したようだ。
結果は、アメリカ政府が以前から望んでいたように、アメリカの軍属がアメリカ軍のイラクからの撤退の後も、イラク国内に残留することが、決まったようだ。
しかし、このアメリカ側のマリキー首相に対する歓迎ぶりとは対照的に、イラク国内の要人からは、マリキー首相の訪米に対する不満の声が上がっている。
その声のなかには、副首相のサーレハ・ムトラク氏のように『マリキーは独裁者になる。』と言うものさえある。
オバマ大統領はマリキー首相が、公正な選挙で選出された人物であり、イラクは民主的だと称賛するが、マリキー首相は独善的な政治を行っており、それに自分たちが不満を述べても聞き入れない。かといって内閣から退けば、ますますマリキー首相の独裁色が、強まっていくだけだというのだ。
これまでマリキー首相を支えてきたシーア派のボスのサドル師も、マリキー首相の訪米につては、異論を唱えている。彼によれば、そもそも訪米は宗教的に正しいものではない。そして、アメリカの言いなりになる、裏切り行為だというのだ。
マリキー首相が裏切ったか否かは別に、イラク国内にはアメリカ軍が撤退した後も、ブラック・ウオーターの警備員が数千人留まるし、軍事顧問団も留まることになっている。これではアメリカの完全撤退は、実質骨抜きでしかないというのであろう。
マリキー首相は訪米中に、大きな飴と鞭の攻勢を受けたのであろう。その結果、アメリカの要求を全面的に受け入れたのではないか。アメリカが唱える治安維持は、アメリカにとって好都合な人士の、生命維持装置になっている。
つまり、アメリカにとって不都合な人物は、アメリカの安全装置の外に放り出され、容易に暗殺されるということだ。逆にアメリカの言いなりになる人物の安全は、確保されるということであろう。
ただイラクの場合、アメリカの庇護のもとにあっても、国民を敵に回した場合は、より危険な状況が発生するということではないのか。敵に殺されるのか、味方に殺されるのか、そのいずれかを選択しなければ、イラクの首相は務まらないということか。