エジプトの実質最高権力者であるタンターウイ国防相が、革命の主舞台となった解放広場(メイダーン・タハリール)を突然訪問した。訪問の理由は抗議デモが解散されその後、この地域の交通がどうなっているのかを、視察するためであったと説明されている。
しかし、実際の理由は、それ以外にあるのではないかと思えてならない。エジプトでは統一地方選挙が始まり、第一段階では自由公正党(ムスリム同胞団)とヌール党(サラフィ主義集団)のイスラム原理主義政党二党が、合計でほぼ3分の2の議席を確保している。
その選挙結果は、そもそもエジプトの革命を始めた、世俗主義者たちにとっては、極めて残念なことであったろう。そこが実は軍最高会議と国民との対立を切り崩す、小さな割れ目になっていくのではないかと思われる。
軍最高評議会は選挙の後、憲法改正に関する委員会を結成し、そこで憲法改正に関する、基本的な意見交換を図ろうとした。これに対して、ムスリム同胞団は真っ向から反対している。
ムスリム同胞団にしてみれば、選挙が終わった段階では、ムスリム同胞団の自由公正党が与党になり、議会で憲法改正が話し合われることになれば、彼らの望むような憲法改正ができる、と踏んでいるからの反対であったろう。
軍最高評議会はそのポイントを突いて、世俗派を巻き込む憲法改正委員会の設置を、目論んだのではないかと思われる。
タンターウイ国防相が革命後、初めて公衆の前に姿を現したとき、軍服ではなく私服であったことから、大統領選出馬を狙っているのではないかという憶測が飛んだが、タンターウイ国防相はそれを全面的に否定した。今回の解放広場訪問では、さすがにその憶測は繰り返されなかった。
軍最高評議会は世俗派を取り込むために、憲法改正委員会の設立を提案したのであろう。それに対するムスリム同胞団の拒否の姿勢は、今後ますますムスリム同胞団がイスラム原理主義の色彩を、顕わにしていくのではないかという懸念を、エジプトの世俗派国民に抱かせよう。
世俗派の国民は未だに軍による独裁に反対、という姿勢を崩していないが、やがてはムスリム同胞団との権力闘争のなかで、軍との部分的連携を模索するのではないか。そのきっかけに今回のタンターウイ国防相の、解放広場訪問がなるのではないかという気がしてならない。