「悪魔の選択・アラブ人を戦わせて殺せ」

2011年12月10日

 

 モバイルを主体とした新しい伝達システムを駆使させ、アラブ人の間に不満を膨らましていく。それが暴発点に達すると、アラブでは革命闘争が始まる。結果は膨大な死者が出ることになる。

 この方式では、欧米が兵士をアラブに派遣する必要もなければ、高額な兵器を投入する必要も無い。何のリスクも無く、目的が達成されていく。モバイル革命とは言い換えると『アメリカによる戦争の新しい形態』なのだ、ということを以前に書いた。

 そして、アラブ人がお互いに殺し合い、国のインフラがずたずたに破壊された後には、疲弊しきったアラブが取り残される。その結果、援助や支援、指導という形で、欧米諸国は簡単にアラブ諸国に乗り出していける。それは『新型の植民地支配』であろう、ということも書いた。

 しかし、日本を含め欧米のマスコミは、このモバイル革命を独裁者による殺戮と支配を阻止するための、民主化のための崇高な闘いと位置づけている。

 アフガニスタンではタリバンという、狂気のイスラム原理主義体制を打倒し、アフガニスタンを平和で国民が安全に暮らせる国にするということが、謳い文句だった。しかし、その結果、何十万人ものアフガニスタン人が殺された。

 イラクでは当初、大量殺戮兵器(WMD)の開発を阻止するとして、軍事侵攻が起こった。結果的に、イラクには大量意破壊兵器どころか、それを製造していた形跡すらも見つからなかった。

 続いて、イラクでの戦争の正当化には、民主化が叫ばれた、サダム・フセインという独裁者の体制を打倒して、民主的な国家を建設するというものだった。サダム・フセイン大統領が年平均何人のイラク国民を殺していたというのだろうか。せいぜい数百人程度ではなかったのか。

 しかし、イラク戦争から9年近くの時間が経過するなかで、イラクは160万人を超す死者を出している。数百人(実際にはそれ以下であったろうが)の命を守るために、160万人を殺すということの、何処に正当性があるのだろうか。そして、この矛盾だらけの闘いのなかで、公式数字でさえ5000人近い、アメリカ兵が死亡している。

 チュニジア、エジプト、リビアで革命が起こり、幸いにしてチュニジアやエジプトでは、今日までに限って言えば、極少数の犠牲者を出しただけで済んでいる。しかし、リビアは両国とは全く異なる展開を見せ、革命の第一段階が終わった。

 アメリカに亡命しているとか言われるリビア人が『カダフィによって無辜のリビア国民が6000人殺される、助けてくれ。』と叫んだ。国連は人道的な立場からリビアに飛行禁止空域を定めた。

 それを口実に、イギリスとフランスは空爆を開始し、次いでアメリカが無人機を使って、カダフィ大佐にトドメを刺した。それまでには5万人以上のリビア人が、犠牲になっているのだ。6000人の命を救うためにだ!!

 しかし、その後もリビアは安定した状態に到っていない。本格的な内乱は、これから始まるのではないのか。

シリアの場合はどうだろうか。血塗られたアサド家による独裁的な支配体制を、終わらせようということで革命が始まり、今までに既に、5000人近い犠牲者が出ている。そのなかには兵士の死亡者も含まれている。

リビアの場合とは違い、シリアの場合は欧米がなかなか、軍事介入しようとはしない。その分だけ決着が付くのに、長い時間を要することになろう。出来れば、シリアの革命という名の殺し合いの期間が、今後当分の間続くことを、欧米は望んでいるのではないか、それはイスラエルも望んでいることであろう。

シリア人同士が殺し合い、国内が混乱し、政府が統治機能を発揮できなくなり、軍は反政府派の弾圧に没頭する状態が続けば、イスラエルの安全はより確実なものになるのだ。

結果的に、シリア国民の戦闘に参加できる若者の人口が減少し、インフラが破壊され、兵士の意気が消沈すれば、シリアは死せる屍のような国家になってしまおう。こうなれば欧米もイスラエルも、安心できることになる。

エジプトではどうか、エジプトでは各派閥や軍が、本格的な殺し合いを始めるまでには、もう少し時間がかかるのではないか。世俗派、イスラム原理主義者、軍隊が、やがて殺し合いを始める時が来よう。それを阻止できるのは、軍による強権統治以外にあるまい。

 いまアラブで進められている『アラブの春』という美しい名の革命運動は、実はアラブ人自らが欧米の新たな植民地支配を、容易にさせるために行う、事前活動になっているのではないのか。

 多少の資金と武器の援助で、アラブ人が自らの体力を減少させてくれるのであれば、欧米諸国は喜んでそれを提供しよう。その裏で欧米人は『そうだお前たちは勇敢だ、自由と尊厳のために、民主的な素晴らしい国家を建設するために立ち上がれ、そして戦え。我々は君らのその勇敢さに敬意を払い、応分の協力をしよう。』と嘯いているのではないのか。