「エジプト・舞姫たちの明日」

2011年12月 9日

エジプトで始まった統一地方選挙の第一弾で、ムスリム同胞団やサラフィ集団が飛びぬけて票を集め、半分以上の得票を記録している。

このままの状況で選挙が進んでいけば、ムスリム同胞団は確実に与党になるだろう。

その場合、もう一つのイスラム原理集団であるサラフィ集団と連立して、内閣が構成されることになり、両組織がエジプトの改憲で、主導権を握ることになろう。

そうなれば、述べるまでもなくイスラム法(シャリーア)が、新憲法の基礎となることが予測される。たとえ、ムスリム同胞団が現代風の憲法を制定したいと考えても、サラフィ集団はそれに反対し、ついには、ムスリム同胞団の中からも強行論が、台頭することになるのではないか。

その場合予測されることは、外国人観光客に対しても、アルコールを提供しないことや、外国人女性に水着の着用が、認められなくなるのではないかということだ。たとえ百歩譲ってそれが許可されたとしても、それは外国人に対する特別なものとなろう。

問題はエジプト人女性のベリー・ダンサーたちに対する規制だ。日本の女性でベリー・ダンスを踊る人たちは、ことさらに肌を露出して踊りたがるが、エジプトの女性のベリー・ダンサーは、ブラジャーと腰布の間も、半分すけてみえる薄絹で覆う、コスチュームを着て踊るのが普通だ。

しかし、そのコスチュームですら許可されなくなるのではないかという、懸念が出始めている。自国民であることや、イスラム教徒であることから、ムスリム同胞団を主体とする与党政府は、エジプト人ベリー・ダンサーのダンスそのものを、許可しなくなるのではないかということだ。

今までも、ベリー・ンスを見せ酒を提供していたレストラン・シアターが、焼き討ちに会うということが、何度となくエジプトでは起こっているが、これからはより厳しいものになっていくのではないか。

このところエジプトでは、外人観光客用のベリー・ダンスを見せるレストラン・シアターは洋上レストラン、つまり船の上でのものになっていた。これなら焼き討ちに会う危険性は、低いという判断からであったろう。

1970年代、私がアラブに留学していた頃は、エジプトのカイロの街にはあちこちに、ベリー・ダンスを見せるレストランがあった。青天井のレストランでは、月光を浴びて踊るベリーダ・ンサーの妖艶な踊りが見られたものだ。

そのなかでも印象に残るのは、ソヘール・ザキ女史のダンスだった。まさに芸術そのものであり、40を過ぎた彼女の踊る様は、17~8の乙女のように幼くも見え、かつ大人の女性の魅力も感じさせる、七変化の舞台であったと記憶している。

それが全て禁止になるのでは、エジプトの観光の魅力の半分とは言わないまでも、4分の1が消えてしまうのではないかと不安だ。全ては砂漠の蜃気楼とでもいうのであろうか。時代の変化はすべてを奪い去り、幻想に変えていくのかもしれない。