「リビア政府武器狩り決断だが」

2011年12月 9日

 

 リビア政府が一般人の武器携帯を、取り締まる方針を定めたようだ。カダフィ時代に買いこまれた武器が『国民には武器を持つ権利がある。』と称して全国に配布され、それが今回の革命騒ぎで、誰もが武器を入手することができるようになった。

 結果的に、若者の多くは外出時に、機関銃や拳銃を携帯するようになり、それがまさにファッション化さえしているのが、現在のリビア全土の状況だ。しかし、それは単純なことから撃ち合いになり、死者が出る危険性を多くはらんでいるということだ。そればかりか、そのトラブルに巻き込まれた婦女子の、犠牲も懸念される。

 そこで、リビア政府は武器狩りを決定した。しかし、そうはいってもなかなか実現は難しいだろう。革命達成後ということもあり、国民の誰もが自分の権利を主張する、傾向が強いからだ。

 そのことに加え、カダフィ支持者たちは決して政府の命令を受け入れ、武器を政府に手渡すとは考えられない。そうなると、武器を持つ者と持たざる者との間に、自動的に立場の強弱が出てくるということだ。

 今回の武器狩りは、とりあえずトリポリ市で実施するようだが、ここでうまくいかなければ、他の都市部でもうまくいくまい。

ましてや、地方では個人の権利が強く、しかも部族の力が強いことから、武器を手放すとは思えない。もし、リビア政府が武器狩りを強行しようとすれば、それが原因で流血事件が起き、再度国内は内乱状態に突入することに、なるのではないか。

トリポリでの武器狩りという話は、外国、特に欧米からの要請で、決定されたのではないかと思われる。武器を抱えたリビア人を相手に、交渉するのでは心が落ち着かないだろうし、市内を移動する場合でも、何らかのはずみでトラブルを起こした場合、リビア人によって撃ち殺される、危険性もあろうからだ。

リビア政府は一日も早い武器狩りの実施と、その完結を見たいのであろうが、そうはいかないと思われる。加えて国内を安定させ、民主的な国家建設に向かいたいところだろうが、それもそうスムーズには進むまい。

リビア国内にはあまりにも多くの、対立関係にある組織、部族が多すぎるからだ。こういう国では、実はある程度の独裁体制は、必要悪なのではないのか。そのことをわきまえないで、理想的な民主主義をいくら叫んでも、混とんとするだけであろう。なにも結果を生み出さず、流血だけが繰り返されるのではないか。その意味では、リビアの現状は革命達成だが、それは第一段階にしか、過ぎないということであろう。

今後のリビアを語るならば、流血が繰り返され、国内は内戦状態に近くなる可能性の方が高いのではないか。