オーストラリアとシンガポールに出張して帰国した。帰宅早々にインターネットを開いてみると、出張中にも見た光景が写っていた。エジプトでは相変わらず、軍の統治に反発するエジプトの若者たちの光景が、あちこちのブログに掲載されていた。
彼らは今何をやっているのか、分かっているのだろうかといぶかしくなった。確かに革命後、エジプトは軍が最高権力機関として統治している。そのことは現段階では、必要なことであろう。
エジプト国民は革命後、あたかも全ての権力が、自分たちの手に渡ったかのような、錯覚に陥っているのではないか。自分の好きな仕事に就職でき、自分の望む給料が支払われ、何でも批判できる、そんなことを夢見ているのではないか。
しかし、現実はその全く逆だ。エジプトでは企業が倒産し、就職の機会は激減し、給与の未払いも増えている。そのことに加え、犯罪が激増してもいる。そのようなカオスの状態から、一日でも早く抜け出し、新国家建設に向かう時期ではないのか。
軍は権力を握ろうとは思っていない。少なくとも、軍のトップのタンターウイ国防相は、望んでいないのだ。彼が望んでいるのは、軍が政府から完全に独立した立場で、エジプトを守るということだけなのだ。
そのために、軍が現在持っている権益を、手放すつもりは無い。軍があくまでも独立した存在でなければ、エジプトは混乱の度を増していくしかあるまい。何処かに権力を持った集団が存在し、エジプトが危機に直面したとき、その集団が立ち上がれる状態に、しておかなければならないのだ。
エジプトの若者たちは、彼らの敵が誰なのかが分かっていない。彼らの敵は軍ではない、.政敵であるムスリム同胞団なのだということを、明確に理解するまでは、エジプトの混沌は続こう。
もしそのことに気が付かずに、このまま軍批判を続けていけば、その先に出てくるのは、軍による絶対的な体制の誕生であろう。あるいはムスリム同胞団による、専制的なイスラム原理主義の国家であろう。
そのいずれも、若者たちは望んでいないはずだ。彼らは現状に対する非難の中で傷つき死亡しなから、限界点まで進んでいくのであろうか。そうであるとすれば、エジプトの革命の犠牲は、相当な規模にまで膨れ上がるのではないか。
犠牲は変化に必要なのであろうが、それにしても痛ましい限りだ。その無駄に、早くエジプトの若者たちが、気付いて欲しいと祈るばかりだ。