リビアのカダフィ大佐の次男サイフルイスラーム氏が、この段階に入りICC(国際刑事裁判所)に身柄を拘束されることを望んでいるようだ。彼がリビアでNTCに逮捕されたのでは、ほぼ確実に殺されることが分かっているからであろう。もちろん友好国への逃亡という選択肢も、彼には残されているが。
彼の父親であるカダフィ大佐は逃亡中に見つかり、負傷した後で殴られ蹴られ、引きずりまわされ、最後はNTC側の若い兵士に撃たれて死亡している。そのときのカダフィ大佐に対する取り扱いが、むごいものであったことがインターネットやテレビを通じて流されたために、世界中の人々によって知られるところとなった。
これを見たのではサイフルイスラーム氏も、ICCに身柄を拘束される方がいいと思って当然であろう。彼は何とかICCとの連絡がつき、いま拘束前の条件闘争に、入っているのではないか。
カダフィ大佐に対するNTCの扱いがひどすぎたため、シリアのバッシャール・アサド大統領やイエメンのアリー・サーレハ大統領、そしてバハレーンの国王は反政府側と妥協することを、ためらって当然であろう。
それ以外のアラブの国家元首たちも、明日はわが身にと思っているのではないか。そうなると、徹底的に反政府側を叩き潰してしまわなければ、自分がひどいことになると思い、政府側の反政府側に対する弾圧は、激しさを増していくものと思われる。
そこでそうした悲惨な状態を生み出さないために、サイフルイスラーム氏に対する対応を、ICCは緩和すべきではないのか。つまり、あまり酷い判決を下さないということだ。
そうすれば、ある意味ではアラブの国家元首たちが、安心してICCに判断を委ねることが出来るようになるからだ。
そもそも、サイフルイスラーム氏はカダフィ大佐の無茶なやり方に対し、再三反論し改めるよう説得していた人物だ。サイフルイスラーム氏のこれまでそうした人道的な功績を、認めてもいいのではないかと思う。
世界中にはリビアだけではなく、あらゆるところに独裁者が存在し、あるいは独裁者ではないのに、そう呼ばれてしまう不幸な人物もいよう。そうした人たちにも救済の余地を、残しておくべきではないのか。
今回のカダフィ大佐殺害の映像を見ていると、どれだけ人間が狂気になってしまうかということが分かろう。その狂気の魂は独裁者の側にも、独裁者を非難する側にも内在するのだから。