サウジアラビア政府は、現在アラブ世界で広がりを見せている、いわゆる『アラブの春』対応に、右往左往しているようだ。国民の自由を何処まで認め、拡大するかが、その最大の課題であろう。
サウジアラビアでは、女性が車の運転の自由を求める、抗議行動を行なっている。それは女性が自身で車を運転するという、他の国では当然の権利なのだが、サウジアラビアではいまだに禁止されているからだ。
法律を破って車を運転した女性に、鞭打ち10回の判決が下されたが、後日、アブドッラー国王の命令で、鞭打ち刑は実行されなかった。それは、サウジアラビア国内で、多くの国民の間から、あまりにもひどい、という声があがったからだ、と伝えられている。
このことは、実はサウジアラビアにおける、女性の権利の拡大であり、社会的な堕落の始まりだと考える、イスラム法学者たちが少なくない。女性が自分で車を運転することは、自由に外出が出来るということであり、それが若い男女の密会を生み、ふしだらな行動に走る危険がある、と懸念されるからだ。
そういう懸念はあるものの、サウジアラビアのアブドッラー国王は、近い将来女性の運転の自由を、認める方針のようだ。それは王家内部の女性の、自由を求める声も、少なくないからであろう。
アブドッラー国王はこの変化に加え、近い将来、女性の地方議会議員への投票と立候補の権利を、付与することを計画している。加えて、サウジアラビアの最高議会である、マジュリス・アッシューラー(諮問会議)への、女性の参加も認める方針のようだ。
問題は、これら一連の女性の権利に関する政策の変更を、サウジアラビアの宗教界に相談しなかったことだ。サウジアラビアの宗教者会議の、代表者であるシェイク・アッルヘイダーン師は、アブドッラー国王の方針に、あまり反対はしていないが、多くの保守派の宗教学者たちの間からは、反発の声が出てきている。
サウジアラビアの歴史を考えてみると、今回のアブドッラー国王が打ち出した政策変更の反響は、軽視できないのではないか。そもそも、サウド王家がアラビア半島を統一し、サウジアラビア王国を設立することに、成功した主たる根拠は、ワハビー派と連帯したためであった。
その厳格なイスラムを選択する、ワハビー派の学者がほとんどであろう、サウジアラビアの宗教界と、アブドッラー国王の意見が対立するということは、王家の存亡に関わる問題にも、発展しかねないのではないか、と懸念される。
一体、アブドッラー国王は何故、こうした劇的な変化を、サウジアラビア国内に持ち込もう、としているのであろうか。考えられることは、外圧ではないか。以前にも書いたように、スルタン皇太子が危篤状態であり、アブドッラー国王も相当に、衰弱しているものと思われるなかで、次の国王を第二世代から選ぶのか、第三世代から選ぶのかという問題が、持ち上がってきている。
その大問題を前に、出来るだけ多くの政策変更を、アブドッラー国王の時代に、片付けてしまおう、ということかもしれない。それをアドバイスできる立場にあるのは、アメリカ政府かイギリス政府ではないのか。