最近、トルコのエルドアン首相の発言が、激しさを増しているような気がする。先日もトルコ人の友人たちと、食事をしているときに、どう思うかとたずねられ、彼らを安心させたいということもあり、計算づくの発言だと思う、と答えた。
もちろん、一部は彼の正義感が、言わせる部分もあろうが、確かに、エルドアン首相はあらゆることを計算した上で、発言しているものと思われる。イスラエルに対する非難は、総じてアラブ諸国や第三世界で、エルドアン首相の評判をよくすることは、誰にも分かろう。
そもそも、エルドアン首相とトルコが、アラブ世界から歓迎されるようになった、最初のきっかけはダボス会議での、イスラエルのペレス大統領批判だった。アラブの首脳の誰もが口に出来ない、イスラエルのガザに対する蛮行を、激しく非難したことが、アラブ大衆の血を躍らせたのだ。
続くガザへの支援船乗客に対する、イスラエル軍コマンド部隊による蛮行は、アラブの人たちをして『トルコがアラブのために血を流してくれた。』と感激させたのだ。
今回、エルドアン首相の発言を取り上げたのは、実はガザ支援船問題について、外国人記者から質問を受けた際に『イスラエルと戦争も辞さず。』という発言が出てきたからだ。
これまでエルドアン首相は、何度も『イスラエルは謝罪し、遺族に補償すべきだ。』と主張してきた。それは当然のことであろうが、イスラエルはこれを、受け付けないできている。国際常識では、公海上で他国船を襲撃し、殺害するなどということは、起こるはずの無いことなのだが、それがイスラエル軍によって、起こされたのだ。
しかも、それは間違いからではなく、確信犯であった。謝罪は国家として当然すべきなのだが、イスラエル政府はトルコに対し、いまだに謝罪していない。その犠牲になったトルコ側は、イスラエルに対して、激怒して当然であろう。
エルドアン首相の他の発言から考えてみると、彼の本心が分かるような気がする。エルドアン首相は『イスラエルは西洋の国々から、甘やかされてきた子供のような国だ。』と語っている。
つまり、国際社会が大きく変化しているなかで、いままでのような甘えの行動を続け わがままな子共のような態度をとっていたのでは、最後に袋叩きに会うということを、言っているのであろう。
取りようによっては、トルコがイスラエルの将来の危険を、一番強く察知し、早く間違いに気が付き、姿勢を変えるように、即しているのではないのか。今ならまだ間に合うが、近い将来世界はいまほど、イスラエルに対して寛容では、なくなるだろう。今回のパレスチナ承認をめぐる、国連での各国の動きを見ていると、世界のほとんどの国が、パレスチナ国家の承認を支持していた。イスラエルがかろうじて、それを止めることが出来たのは、オバマ大統領が拒否権を使うと言ったからだ。しかし、それはオバマ大統領とアメリカの評判を、世界中で低下させることでもあるのだ。アメリカは何処まで、イスラエルの味方でいられるのか、疑問が沸いてくるではないか。
言ってみれば、エルドアン首相はイスラエルにとって、厳父のような存在なのかもしれない。その彼の気持ちが、これでもイスラエルは分からないのか、という意味で『戦争も辞さず。』と言わせたのであろう。