「欧米はアラブに真の英雄を創り出す」

2011年9月19日

 

 リビアの一部で、カダフィ派が善戦しているようだ。ベニ・ワリードやシルテ、そしてテセブハなどがそうだ。これらの街には、リビアで戦闘が始まる前から、相当量の武器が、備蓄されていたものと思われる。それは、カダフィ大佐と深い関係が、あったところだからだ。

 そして、戦闘が始まった段階で、カダフィ大佐はこれらの街を、最終的な抵抗拠点、と考えていた可能性がある。そうであるとすれば、これらの街への食料の備蓄も、資金の移動も済んでいるはずだ。もちろん、カネさえあれば、アフリカ諸国からの密輸は可能であろう。彼は資金をゴールドで、溜め込んでもいたのだから。

 そうなると、カダフィ派の抵抗戦争は、長期化の可能性が高くなる、ということだ。もし、NTC(臨時政府)側がカダフィ大佐か、彼の子息サイフルイスラーム、あるいは二人を殺したとしても、抵抗が継続される可能性がある。

 それは、今回のリビアの革命(?)で、イギリスとフランスが介入し、それにアメリカが加わったことで、植民地抵抗闘争に様相を変えたからだ。こうなると、カダフィ大佐は暴君であるよりも、祖国解放の英雄的闘士、ということになるのではないのか。

 それだけ、イギリスやフランス、アメリカのやり方が、露骨だからだ。これではリビアのカダフィ派も、NTC側も誰もが、今回の革命が何であったのかを、余り時間をかけないで、理解することになろう。そうなれば、カダフィ派が完全に打倒されて、国内が安定した状態になっても、リビア国民はイギリス、フランス、アメリカの言いなりには、ならなくなるだろう。

 シリアも同じだ、シリアの国内不安定化が、大衆による反バッシャール・アサド大統領体制への、運動で始まったことは事実だが、時間の経過と共に、外国の介入が目立ち始めている。

 結果的に、バッシャール・アサド体制はカダフィ体制同様、打倒されるだろうが、その後に残るのは、外国(欧米)に対する強烈な不信感と、嫌悪感では無いのか。

 リビアの片田舎、シルテの街から砂漠の内陸に入った、寒村で生まれた天才少年カダフィが、軍隊に入りその才能を発揮し、遂には王制を打倒した。しかし、それは無血革命であり、国民大衆を巻き込んだ、革命ではなく、単なるクーデターに過ぎなかった。

だからこそ、彼は何度も革命を口にし、世界の革命を支援することによって、自分の偽物の革命を、本物に見せようとしたのだ。だがいま、イギリスやフランス、アメリカが、彼に本物の革命をする、大きなチャンスを与えた。しかも、それは外国の植民地支配に対する、抵抗革命なのだ。カダフィ大佐は敗北していく中で、いまその喜びを噛み締めているのではないのか。

同様に、シリアのバッシャール・アサド大統領も、気弱な勉強好きの青年が、兄バーセル・アサドの死亡によって、転がり込んできた重責、大統領職に就き、周囲の古老重鎮たちのアドバイスに、苦しみながら国家を運営してきたが、遂に彼はシリアを、植民地支配の試みから解放する、英雄になれるのだ。

時間が5年10年と経過していったとき、シリアの国民もリビアの国民も、自国のバッシャール・アサドやムアンマル・カダフィが、植民地支配に抵抗して死んでいった英雄たちだということを、実感するのではないのか。そのことが、アラブ現代史に記される日も来ようし、アラブ大衆の語り草にもなってもいこう。

 おめでとうカダフィ大佐、これで貴方はリビアの、永遠の英雄になれるのです。そしてバッシャール・アサド大統領もおめでとう、シリアの国民は貴方という、真の英雄を得たのですから。待てよ、これは日本人的な判断であろうか?