イラン政府はいま、アラブ諸国で続いている大変革について、イスラムの台頭である、として大歓迎し、称賛を送っていた。イラン政府の表現によれば、アラブ各国で起こっている革命の動きは、アラブ庶民の間でイスラムへの回帰の精神が、強化されたからだということになる。
しかし、いまアラブで起こっている革命の、実態が次第に詳しく伝わってくるに従い、イランは考えを変えざるを得なく、なってきているのではないか。イランにとって、いま一番ショックなことは、アラブ諸国の中で最も親しい関係にある、シリアのバッシャール・アサド体制が、危機に直面していることだ
ご存じの通り、シリアもアラブの春という名の、伝染病にいま苦しめられている。その結果、バッシャール・アサド体制は武力による弾圧しか、対応の仕方がなくなっており、そのことは、国民と政府との平和的な、対話による問題解決の道を、完全に潰してしまったようだ。
結果的に、近い将来、バッシャール・アサド体制はチュニジアのベン・アリ体制、エジプトのムバーラク体制同様に、打倒されることになろう。そうなると、イランはアラブ世界のなかの、イラン革命の最も重要な、橋頭保を失うことになる。
そればかりではない、シリアはこれまでイランから、レバノンのヘズブラへの、武器供給の中継地になっていたことを考えると、シリアのバッシャール・アサド体制が崩壊することにいよって、イランのレバノンのヘズブラに対する影響力も、弱まっていくということであろう。
当然、ヘズブラは近い将来、レバノン政治の中での、影響力を失っていく可能性があろう。つまり、アラブの春の影響で、イランはシリア、レバノンのヘズブラという重要な友人を、失うことになるということだ。
シリアの革命が達成された時点では、現在のアラウイー派主導の体制から、スンニー派主導のシリアに、変わってくことは必定だ。(バッシャール・アサド大統領はシリアのマイノリテイである、アラウイー派の出身であり、シリア軍や情報機関のトップは、皆アラウイー派の人士によって、占められている。アラウイー派はイランと同じ、シーア派の一派だ)
こうしたこともあってであろうか、アルジェリアで起こっているテロについて、イラン政府は激しい反発の声明を発表している。アルジェリア政府に対する支持と、犠牲者の遺族に対する、哀悼の意を伝えているのだ。
チュニジアで起こった革命も、エジプトで起こった革命も、リビアで始まった革命も、いずれもイスラム主義者たちが、主体ではなかったのだが、イランは自国を有利に見せるために、これを『イスラムによる革命』と評していた。
しかし、それは事実ではなく、世俗的な大衆の怒りの結果だった、ということが分かり、しかも、自国にもそれが影響を、及ぼし始めているということに、やっとイランの体制は、気がつき始めたようだ。