パレスチナ自治政府の、マハムード・アッバース議長が国連で演説し、パレスチナを国家として、国連に正式に加盟させてくれるよう要請した。彼はこれまでの経緯を細かく説明した。マハムード・アッバース議長はパレスチナの現状を語ったことによって、パレスチナとイスラエルとの間で行われた直接交渉は、何等進展しなかったことを明らかにした。
それは事実であろう。強者であるイスラエルと、弱者であるパレスチナが話し合っても、イスラエル側の主張が優先され、パレスチナに対する譲歩は、ほとんど行われないからだ。言ってみれば、マハムード・アッバース議長の演説は、パレスチナ人の愚痴のばら撒き、不満の爆発といった感じであったと思う。
この演説の中で、彼は何度と無くPLO(パレスチナ解放機構)の名を上げ、それがパレスチナ大衆を代表するものだ、という話し方をしたことだ。それが意味するのは、何であろうかと考えてみたが、もし、和平交渉が失敗に終わった場合、PLOが行っていた武力闘争を、再開するという意味ではないかと思えた。
それを感じさせたのは、マハムード・アッバース議長が、故ヤーセル・アラファトPLO議長の名を引き出し、ヤーセル・アラファト議長はこの国連の場で『私の手から平和を希求するシンボルの、オリーブの枝を奪わないで欲しい』と語った内容の一節を繰り返した。彼はまた『パレスチナの春』が始まるとも語った。それはパレスチナ大衆が、イスラエルという権力に対して、挑戦するという警告であろう。決して、マハムード・アッバース議長と、彼の体制に対する『パレスチナの春』ではあるまい。
もう一点気が付いたことは、マハムード・アッバース議長が言う、パレスチナの首都は『コドスッシャリーフ』であり『東エルサレム』ではなかった点だ。つまり、マハムード・アッバース議長はエルサレムの全てを、将来建設されるパレスチナ国家の首都とする、と主張したのであって、現在言われている、エルサレムの半分に当たる、東エルサレムではないということだ。
確かにそうであろう。パレスチナとイスラエルの国境を、1967年戦争以前のラインとするならば、エルサレムの全てが、パレスチナ側の領土であり、イスラエルには何の権利も無くなるのだ。しかし、そのマハムード・アッバース議長の主張は、受け入れられまい。
国連総会の場で、パレスチナが国家として受け入れられたとしても、国連安保理では、アメリカの拒否権によって、阻まれることは確実であり、実質的に進展は、無かったということであろう。
それでは、マハムード・アッバース議長は何故、今回国連でパレスチナ国家承認を訴えたのであろうか。それは、現状を打開したい、ということであったろう。そのためには、過去と現在のパレスチナが置かれている状態を、訴えることであったろう。そして国連出席で、何も具体的には得ることが出来ず、手ぶらで帰るマハムード・アッバース議長が、パレスチナ大衆に温かく(英雄として)迎えられるための、言い訳であったのではないか。
『国連から凱旋するマハムード・アッバース議長』、『数十万のパレスチナ大衆が熱狂的に彼を歓迎』そんな新聞記事のタイトルを、期待しているのであろうか。そうなることはなさそうだ。昨夜のマハムード・アッバース議長の、国連演説を見るために用意された、大型テレビの前には、約1000人のパレスチナ人が集まった、と伝えられている。ガザではほとんど、関心が払われなかったということだ。
そうは言っても、徐々にではあるが、イスラエルの傲慢と、アメリカのイスラエル寄り外交は、世界から嫌われていこうし、誰もアメリカが公平な仲裁者とみなさなくなるだろう。その後に来るのは『常識』ではないのか。
「M・アッバース議長の国連演説と今後」
2011年9月24日