「アサド政権は終焉に近づいた」

2011年8月28日

 

 リビアのカダフィ大佐が表舞台から消えた後、種々の噂が飛び交っている。カダフィ大佐はトリポリ市内に潜伏、彼の故郷シルテに隠れている、アルジェ リアに逃亡、、。そのいずれも確証に至らない。

 シリアのバッシャール・アサド大統領もここに来て窮地に立たされたようだ。欧米の彼に対する非難は、遂に経済制裁の強化となり、シリアが生産する石油に対する、不買方針が決まったようだ。

 兵糧攻めばかりではない、外交的にも窮地に立たされることとなった。アラブ連盟のアラービー事務総長が、シリアのダマスカスを訪問し、バッシャール・アサド大統領と話し合っているが、そこで持ち出されたのは、民主化の推進と、大幅な改革であり、強力な圧力がかかったということであろう。無理も無い、毎日政府軍によって国民が殺害され、最近ではモスクが襲撃されイマームも殺害されているのだ。

 これまでバッシャール・アサド大統領を支持してきたイランも、遂にたまりかねて口を開き、バッシャール・アサド大統領は国民の要望を聞き入れ、改革を進めることが必要であることを伝えた。

 イランがこの段階で口を開いたということは、シリアの内情が来るところまで来たということであろう。この後、バッシャール・アサド体制が崩壊したとき、イランは何と評するのであろうか。

イランのサーレヒー外相は、バッシャール・アサド体制が崩壊すれば、中東地域とシリアは大混乱の坩堝になるだろう、と警告している。

ロシアや中国は未だに、バッシャール・アサド大統領を支持しているが、これも積極的な支持とは考えられない。無責任な言い方が許されるならば、成り行きの延長ということであろうか。

 シリアの国民による抵抗運動も、デラアの街から始まり、今では全国規模に広がり、デモ参加者の数も、何十万何百万人の規模に膨らんでいる。こうした状況に対して、バッシャール・アサド大統領側に出来ることは、力による弾圧だけであろう。

 その犠牲者の数が増えるにしたがって、国民とバッシャール・アサド大統領との間に、妥協点は無くなる。既に妥協は無理であろうことを考えると、バッシャール・アサド大統領は弾圧の度合いを増して行き、チュニジアのベンアリ大統領のように国外逃亡するか、最後には自分が絞首刑、あるいは銃殺刑に処せられる、ということではないか。

 リビアのカダフィ体制の実質的崩壊は、シリア国民に大きな勇気を与えたようだ。シリアのデモ隊は『カダフィの次はバッシャール・アサドだ。』と叫び始めているということを考えると、益々妥協の余地はありえなくなってきた、ということであろう。たとえ、イランやアラブ連盟が仲介したとしても、その成果は全く期待できないだろう。

 この国の体制が打倒された場合に予想できるのは、国民の経済困難と犯罪の増加、そして武器の密輸の問題であろう。それは新たな混乱を中東地域に、もたらすということではないか、そのなかには湾岸諸国やイランも含まれよう。