世界が東西冷戦の時代、アラブ諸国は親米か(西側陣営)親ソか(東側陣営)に、分けられていた。革命を起こした国は皆、社会主義(アラブ社会主義)を標榜し、ソビエトとの関係を強化していった。
他方、革命を恐れる王制諸国は、アメリカとの関係を強化することで、自国の体制の安全を、確保しようと考えていた。それが当時の大まかな、アラブ世界の区分となっていた。
当時、ソビエトとの関係を維持していた国々は、述べるまでも無く、アルジェリア、リビア、エジプト、シリア、PLO、イラクなどの革命国家であり、アメリカとの関係を維持していたのは、モロッコ、ヨルダン、湾岸諸国だった。
しかし、東西の冷戦構造がソビエトの崩壊によって崩れると、社会主義を標榜してきていた国の中から、次第に新生ロシアとの関係を弱め、アメリカやヨーロッパとの関係を、強化する国々が出てきた。
エジプトやチュニジア、イエメンがその先鞭をつけた国だったかもしれない。リビアはアメリカにねじ伏せられて、イエスマンになった。それが今回の大衆蜂起の中で、最初に不安定化した国々だ。そのことを考えると、何かが見えてくるような気がする。
そして今、シリアが世界的な関心を呼んでいる。アサド政権による力の行使が、多数の犠牲者を生み出したことによって、非難されているのだ。しかし、ここでも通常考えられないようなことが、起こっている。シリアのアサド政権を支えるために、湾岸諸国が援助しているというのだ。
最近になって、シリアの内情が世界的に知られ、非難が激しくなると、湾岸諸国もシリアのアサド体制に対する、非難を始めたようだ。その内容は「大いなる懸念と激しい遺憾の意」を表明し、「流血の即時停止、必要な改革の実施」といったものだ。
では何故、湾岸諸国がシリアのアサド体制を、支持してきていたのか、という疑問と、何故今になって非難を始めたのか、という疑問が沸いてくる。
その疑問に対する答えは、アラブの国々で始まった大衆蜂起が、共和国ばかりではなく、王制諸国にも広がる中で、湾岸諸国はそれが自国にも飛び火してくることを恐れ、アラブ各国の体制の安定化に努力したのではないか。
しかし、アラブ諸国の大衆蜂起が拡大し、体制側による弾圧が強化されると、湾岸諸国内でもシリア非難のデモが拡大してきた。そのデモは同時に、自国の体制非難に突然変わりうる危険性を、含んでいるのだ。
そもそも、アラブの独裁体制を、最初に力づくで打倒したのは、アメリカによるイラク攻撃だった。アラブの大変革は2003年のイラク戦争に、始まるのだとも考えられるのではないか。現在起こっているアラブ諸国の不安定化をアメリカは望んでいたのだろうか?あるいはその逆であろうか。