「ムバーラク元大統領の裁判風景」

2011年8月 4日

 

 8月3日はエジプト国民にとって、エジプト政治史に残る、歴史的に記念すべき日となろう。この日、ムバーラク元大統領がカイロのポリスア・カデミー内に特設された裁判法廷で、裁判の被告人として引き出された様子が、テレビで中継されたからだ。

 エジプトのシナイ半島にある、シャルムエルシェイク・リゾート地にある、彼の別荘に病気を理由に長期間留まり、裁判にかけられる事に抵抗していた彼も、遂に法廷に引き出されることになったからだ。

 ムバーラク元大統領は病気を理由にしてであろうか、ベッドに横たわっての裁判への対応となった。ムバーラク大統領は堂々とした口調で、罪状を全面否定してみせたが、鉄格子の檻のなかに横たわる彼の姿は、やはり惨めなものだった。

 外国では大統領や首相が権力を奪われ敗北すると、裁判にかけられ、判決によっては銃殺や、絞首刑になることが少なくない。しかし、私に言わせれば、こうした結論を国家元首だった人物に当てはめるのは、その国の民度が低い、ということではないのかということになる。

 少なくとも、国民はその人物を国家元首として、何年間あるいは何十年間に渡り、戴いてきていたのだから。それにはそれなりの最終的な敬意が、示されてしかるべきだと思うのだが。

 そもそも、権力者が独裁者になるのには、大衆の甘えがあったからではないのか。権力者を独裁者にし、彼に全ての責任を押し付け、ぶら下がって安逸な生活をしていたのではなかったのか、と問い質したくなる。

 エジプトのムバーラク元大統領は30年の長きに渡って、大統領の地位にとどまってきた。その結果が今回の裁判となったのだ。確かにムバーラク元大統領は、独裁者であったかもしれない。しかし、同時に彼はアラブ産油諸国を筆頭に、他の国々から援助を集め、国を豊かにしてきたのではなかったか。

 彼が大統領に就任する前のエジプトは、故サダト大統領がやっとイスラエルとの戦争を止め、平和協定を結び、経済開放政策を進めた時期だった。当然のことながら、当時のエジプトは今のエジプトとは、比べ物にならないほど、貧困な状態だった。

 ムバーラク元大統領は外国の投資を呼び起し、外国企業を誘致し、外国から援助を集め、インフラを整備し、国内企業を育成したことは事実であろう。その経済の急速な発展の中で、所得格差が生じるには、何処の国も同じことだ。

 かつて中国の鄧小平氏は『白い猫でも黒い猫でもねずみを取る猫がいい』と語り『富める者から先に豊かになれ』とも語っている。中国でもその結果、所得格差が広がったが、経済は今日本を抜いて、世界第二位の規模に成長している。当然各種の汚職も拡大しているが。

中国では学生を中心とする、反政府運動が起こったとき、戦車でひき殺して、このデモを阻止している。エジプトではムバーラク元大統領が指示し、デモ隊のメンバーを殺したとされ、裁判にかけられている。結果が有罪となれば、ムバーラク元大統領が処刑される、可能性は高かろう。しかし、中国とエジプトの間に、何の違いがあるというのだろうか。

今回、エジプトでムバーラク元大統領を裁判にかけ、その様子をテレビ放映することになった裏には、ムバーラク元大統領後継の権力者となった、軍最高評議会が大衆の貪欲な要求を、恐れてではなかったのか。大衆はムバーラク元大統領が絞首刑、あるいは銃殺刑になることを、目の当たりにしたいのであろう。しかし、その大衆はエジプト国民のなかの、多数派ではないことを私は伝えたい。エジプト人は本来、優しい民族なのだから。