トルコのクルド人闘士ケマル・ブルカイ氏が、31年ぶりにトルコに帰国した。彼が祖国の土を踏んだのは、トルコを離れてから31年過ぎた後だった。彼は社会主義運動家であると同時に、詩人として知られると共に、トルコのクルド人の文化的自由を、強く訴えてきていた。
彼は31年前にスエーデンに亡命し、そこで詩作活動を続けていた。彼の詩は歌になり、クルドとトルコの人たちを魅了してもきていた。彼がイスタンブールのアタチュルク空港に降り立つと、多数の人たちが出迎え、身動きが取れないほどだった。誰が歌い出すとも無く、彼らはケマル・ブルカイ氏の作詞した歌『ギュルムセ=スマイル)を歌い始めた。この歌は著名な歌手セゼン・アクスの歌だった。
ケマル・ブルカイ氏とトルコ政府との関係は、1993年オザル大統領の時代に前進したが、オザル大統領が死亡した後、法廷はケマル・ブルカイ氏を有罪とし、彼は国外に逃れたのだった。
空港に出迎えたケマル・ブルカイ氏の娘カヤさんは『父はトルコの民主化に賛成で、クルド問題の民主的解決に、貢献できる。』と語っている。
ケマル・ブルカイ氏の記者会見は、空港で予定されていたが、あまりにも多い出迎え者のために混乱し、結局記者会見はイスタンブールのタクシムにある、タクシム・ヒル・ホテルで行われることになった。
ケマル・ブルカイ氏は記者会見の席で、クルド問題解決のために、誰とでも、どのような組織とでも、対話する用意があると語った。彼は与党AKPのクルド問題への対応を歓迎し、同党がクルド文化の自由化に、努力していることを評価し、トルコ国営テレビ6チャンネルが、クルド語で放送されていることを、賞賛した。
ケマル・ブルカイ氏はクルド問題の解決は、暴力によっては達成されないと語り、クルドのグループやトルコの社会主義グループが、AKP の政策を支持しないことを批判した。これらのグループがトルコ国営テレビの、クルド語放送に反対していることは、問題だとも語った。
このクルド人インテリ活動家ケマル・ブルカイ氏の帰国は、今後、トルコ政府が解決を目指している、クルド問題の前進に、大きく寄与するもと思われる。現在刑務所に入っている、クルド労働党党首のアブドッラー。オジャラン氏も、武力闘争には反対の立場を、示し始めているだけに、今後、この2人の人物が、クルド問題と社会に及ぼす影響は大きかろう。