アラブの春なる大衆蜂起が起こり、チュニジアとエジプトの権力を打倒し、今リビア、イエメン、シリアの体制を打倒しかけている。加えて、バハレーンやヨルダンも、不安定の度を増し、サウジアラビアですら、焦燥感がみなぎっている。
こうした中で、多くの組織や国家が、そのアラブの春は自分たちの成果だ、と主張し始めている。イランはアラブの春を、イスラムの復興であり、反アメリカのうねりだと、自国の革命をその出発点とする主張を、繰り返している。
ムスリム同胞団もしかりで、あたかも自分たちが、エジプトの革命を成功させ、革命後のエジプト政治をリードするのは、自分たちの権利だと言わんばかりの、主張をしている。それはチュニジアのイスラム原理組織、ナハダ党もしかりだ。
他方、世俗主義の大衆、なかでも若者たちは、この革命は自分たちの手で成し遂げたのだ、と主張してやまない。一体誰がこの革命の首謀者であり、主役なのか疑問が湧いて来る。
各国各組織による、自分たちが主役だとする主張とは裏腹に、最近になって、意外な意見が飛び出し始めている。それは、イランに対するアラブ諸国の、大衆の支持が、急激に低下していることだ。
つまり、アラブの大衆は別に、イランの革命を真似したのでも、イランの指導を受けたのでもなく、あくまでも自分たちの手で、革命が遂行されたのだという、自負心からであろう。
ムスリム同胞団についても同様に、革命を遂行した大衆は、決してムスリム同胞団を革命の主役だ、とは考えていない。確か、エジプトのムスリム同胞団の幹部は、解放広場(タハリール広場)で行われた革命闘争に、参加することに反対していた。
ムスリム同胞団が解放広場に登場したのは、革命が達成した後であり、他人の努力の成果を、あたかも自分たちのものであるかのように、振る舞ったに過ぎない、実に恥ずべき行為であろう。
そのムスリム同胞団は今、世俗主義の革命の主役たちから、革命の成果を盗む者として、怨嗟の視線を向けられているのだ。今後、決して、ムスリム同胞団が順当に、エジプト政治の主役に、のし上がっていけるとは思えない。
今回の革命劇は大衆の成果であり、それを画策し、背後から扇動した人や国が、主役であろう。そう考えると、現在の段階で、革命劇のさなかにある国々の、今後の主役はおのずから見えてくるだろう。今高らかに革命の主役を語る者たちは、やがて主舞台から退散することになろう。