「ヨルダンでもアラブの春が始まる?」

2011年7月18日

 

 7月15日は、ヨルダンで他のアラブの国と同じように『アラブの春』が始まった、記念の日になるかもしれない。今回のデモのニュースの記事を読んでいると、幾つもの真実が伝わってくる。

この日、ヨルダンの各地で、金曜礼拝の後に、デモが行われたようだ。参加したのは、各団体であり、その中にはムスリム同胞団や、若者のグループもいたということだ。

 述べるまでも無く、ムスリム同胞団のヨルダンにおける、存在は小さくない。ヨルダンではムスリム同報団は、大きな政治組織のひとつになっている。その組織が本格的に動き出すということになれば、体制そのものにとって、脅威となることは確実だ。

 ヨルダンのデモ参加者は、選挙による議会の構成と、政府の構成、憲法裁判所、自由の拡大、民主化、そして政治への大衆の参加を、スローガンにした。ほとんどのデモ参加者は、王制そのものに対する、批判の声を上げていない。しかし、一部のデモ参加者からは、王制打倒の声が挙がったということだ。

 このことは、王制への批判者に対する処罰が、厳しいために行われなかったのであって、デモ参加は王政を支持しているからだ、とは受け止めるべきではあるまい。

 デモ参加者はあくまでも、民主化を要望している、ヨルダンの危機的状況を克服できる政府の誕生を要望している、としているが、その裏には厳しい現体制への、批判が込められているのではないか。

 金曜日のデモで、警察は棍棒を振るい、デモ参加者に対し、厳しい対応をしたことを認めているが、警察側はあくまでも、体制支持側と反体制側のグループが衝突し、大惨事になることを恐れて、デモを規制したと説明している。しかし、実際には反体制側だけが、デモを行っていたということだ。

 この警察の暴力で負傷した者の中には、ジャーナリストも含まれていた。通常、ヨルダンではジャーナリストは黄色のジャケットを、着用することによって、デモ参加者とは識別できるようになっている。

 今回の場合、黄色いジャケットを着たジャーナリストも、負傷しているということだから、警察側は無差別にそこにいた者を殴打した、ということではないか。

また、ジャーナリストの多くが、黄色のジャケットを脱ぎ捨てて、デモに参加したということを考えると、ジャーナリストたちも、相当に厳しい政府に対する見方を、しているということではないのか。あるいは、ジャーナリストたちが怒りだすほど、警察側のデモ隊に対する暴力的対応が、ひどかったということかもしれない。

 警察側は17人の警察官が、このデモを規制する段階で負傷した、と発表している。常識で考えた場合、規制する側の警察官が、17人も負傷したということは、規制される側には、もっと多くの負傷者がいる、ということになろう。

そのことは、相当乱暴な対応が、警察官によって執られ、それに対し、デモ参加者が抵抗した、ということになるのではないか。つまり、デモは結構激しいものだった、ということになるのではないか。

こうして考えてみると、ヨルダン政府が流した、あるいは報道を許可したものだけを読んでいても、真実部分が伝わってくるのではないか。『ヨルダンの春』は決して甘くない段階に、入ってきていると受け止めるべきではないか、と思われるのだが。