7月10日から、シリアの首都ダマスカスから19キロ離れた、国営リゾート施設で、シリア国民大討論会が開催された。述べるまでもない、現在の混沌とした状況を、いかにして解決するか、ということが、この会議開催の主題だ。
しかし、蓋を開けてみると、どうやらこの会議は、国民のコンセンサスを生み出す会議というよりは、シリア政府、バッシャール・アサド体制が打ち出した、国内民主化政策を発表するものである、ということのようだ。
広く国民に呼びかけて、この会議に参加をうながした、ということになっているが、会議に参加したのは、独立系の国会議員や、バアス党員でほとんどが、占められているようだ。
独立系議員といっても、シリアの厳しい政府の取り締まりの中で、議員に選出されるということは、簡単に言ってしまえば、シリア政府のイエスマンであり、バッシャール・アサド大統領万歳組であろう。
述べるまでもなく、この会議には反政府勢力からは、誰も参加しなかったようだ。1300人の死者と12000人の投獄者を生んだ、今回の反政府デモは、反体制派の人士をして、政府の準備した会議への参加を、思い留まらせたのであろう。
シリア政府はこの会議を開催し、政府の考える民主化路線が、参加者から賛同を受け、実行することになる、ということであろうが、バッシャール・アサド体制が、それほど柔軟な対応変更を、出来るとは思えない。
加えて、反体制運動がここまで来てしまうと、反体制側も妥協はできないだろう。そうなると、反体制派が唱えるように『バッシャール・アサド体制を打倒する』という、当初の目的が成就されない限り、反政府運動は続く、ということではないのか。
シリアの現体制は、現在のバッシャール・アサド体制以前の、彼の父ハーフェズ・アサド大統領の時代から、続いているものであり、その政治方針は、バアス党である。
バアス党理論が果たして、正しい政治の理論であるのか否かについては、理想的なものであろうと思われる。なんとならば、バアス党は人種、宗教、宗派の別なく、国民が一体となって、平等な立場で国家を運営していくことに、なっているからだ。
しかし、実際にはバアス党理論は、独裁政権を擁護する理論になり、シリアではアサド王朝が、父ハーフェズ・アサドの時代が1971年から2000年まで、その息子バッシャール・アサド大統領の時代が、2000年から現在にまで至っている、つまり、バアス党理論に基づくアサド体制下で、シリアはすでに40年の歳月を、経過しているのだ。
これでは権力はがんじがらめの、老朽化した状態であり、抜本的な改革など、出来るはずがなかろう。一度解体し再構築するしかあるまい。今回の国民大討論会は、その古い体制の開催する、最後の会議なのかもしれない。