シリアで、政府に対する国民の、抵抗運動が始まって久しい。その国民の抵抗の波は、シリア南部のデラア市で始まり、次第に海岸線の主要都市や北部のラタキア、ホムス、アレッポに拡大している。そして1万人を越える難民が、シリアからトルコ領土に、避難してもいる。
シリアのバッシャール・アサド大統領は、トルコのエルドアン首相が大分前(5年ほど前)から、民主化を進めるべきだ、というアドバイスをして来たにも関わらず、それを受け入れなかった。
理由は単純だ。彼の父親であるハーフェズ・アサド大統領時代から、居座っている政府の重鎮たちが、それを受け入れなかったのだ。そうした強硬な選択を、ベテランたちにさせたのは、1982年のハマ市で起こった蜂起に対する、ハーフェズ・アサド大統領の強硬手段の成功に、あるのではないか。
ハマ市では1万人から2万人の市民が殺害され、結果的に蜂起は力によって鎮圧されたからだ。力による対応が最善だ、とベテランたちは考えたのであろう。
しかし、今回の国民の蜂起は、これまでに前例のなかった、性質のものではないか。しかも、大衆蜂起はチュニジアでもエジプトでも、大統領を辞任させることに、成功している。
既に、シリアでは多くの市民が、シリア軍や警察の発砲で、犠牲になっているが、全くひるむ様子が見えない。それどころか、各所で回を重ねるごとに、デモ参加氏はの数は、増加しているようだ。
これを欧米が座視するわけがない。アメリカはイスラエルの安全を考慮すれば、バッシャール・アサド体制が続いたほうがいい、と考えているかもしれない。欧米各国もそれぞれに、種々の計算はあるものの、バッシャール・アサド大統領は辞任すべきだ、というのがどうやら、共通の認識になってきているようだ。
そうした流れのなかで、バッシャール・アサド大統領は、デモの規模が大きかった市の市長を、首にし始めている。例えば、最初にデモが起こったデラア市の市長は、既に首になっているが、今度はハマ市の市長を、首にしたようだ。
しかし、それは間違った判断ではないかと思うのだが。シリアの政府の高官は、誰もバッシャール・アサド大統領を、全面的に支持などしていない。要は自分の地位が確保され、安全であればいいだけのことだ。そのためには、何処までもバッシャール・アサド大統領支持のそぶりを、続けるということだ。
そういう輩に対して、首の前例を見せた場合、どう反応するだろうか。バッシャール・アサド大統領に、焦りがありありと見え始めた、と受け止めるだろう。あるいは、首になるのは明日は自分かもしれない、と考えるだろう。そうなれば、かえって状況は悪化するだけではないのか。