「イエメンでも負け犬の味方はしないだろう」

2011年6月30日

 他の幾つかのアラブの共和国と同様に、アラビア半島の東南端に位置するイエメンでも、政情不安が起こって久しい。その流れのなかで、アリー・サーレハ大統領が彼の宮廷のモスク(イスラム教の礼拝所)のなかで、大怪我をした。述べるまでも無い、その理由は反政府側によって、攻撃を受けたからだ。

 攻撃が行われた後、アリー・サーレハ大統領は急遽、治療のため隣国サウジアラビアに入った。サウジアラビアから漏れてくる情報によれば、アリー・サーレハ大統領は身体の45パーセントに、火傷を負うという、重症であるとのことだった。

 その後に伝わってきた情報では、身体の一部がひどい火傷で、炭化しているということだった。つまり、一命は取り留めたものの、アリー・サーレハ大統領にはほとんど、回復の見込みがない、ということだった。

 しかし、アリー・サーレハ大統領はそう簡単に、政治の舞台から降りるわけにはいかなかった。重症説が伝わる中で、しばらくすると、アリー・サーレハ大統領が近日中に帰国、という情報が流れ始めた。

 この情報は、イエメンのアリー・サーレハ大統領側が、流したものであり、相当に政治臭の強い、信ずるべきではない情報、として受け止めた。状況から判断して、アリー・サーレハ大統領が、大統領職に復帰できるとは、到底思えなかったからだ。

 案の定、それからしばらく経過した6月29日、イエメンからテレビ局のクルーが、サウジアラビアに向かい、アリー・サーレハ大統領の声明を録画し、放送するという情報が流れてきた。つまり、アリー・サーレハ大統領はとても帰国できる状態ではない、ということが証明されたわけだ。

 それでは何故、そこまで無理をしてまでも、アリー・サーレハ大統領はイエメン国民に対して、声明を発表する必要があるのだろうか。それは、アリー・サーレハ大統領の復帰が不可能だということになれば、イエメンの内乱は一気に方向を、変える危険性があるからだ。

 今のところ、3人の息子たちと大統領支持派の政府幹部が、かろうじて権力を維持しているが、大統領が復帰不可能となれば、一気に反政府側が元気付くであろう。つまり、現政権が持たなくなる、危険性があるということだ。そのため、アリー・サーレハ大統領は無理を押してでも、イエメン国民に対し、声明を流さなければならない、ということであろう。

 しかし、とても元気な姿をテレビの映像で、流せる状態ではないのではないか。何らかの工夫をして声明を発表するのであろうが、その際に、テレビ・クルーはアリー・サーレハ大統領の負傷の様子を、目の当たりにするであろう。そのことは、必ずイエメン国民に、知れ渡っていこう。

 つまり、アリー・サーレハ大統領が一か八かに賭けた、ということではないか。つまり重症を負ってなお、敢然と自分の地位を守り通そうとする、大統領に対して、イエメン国民が支持することに、賭けたということだ。しかし、この賭けは全く逆の結果を、もたらす危険性もあろう。

 溺れる犬を棒でつつき、溺死させようとする者がいる、負け犬に石を投げる者がいるのと同様に、アリー・サーレハ大統領時代の終焉を、声高に唱え始める者が出てこよう。可能性は後者、つまり、アリー・サーレハ大統領の賭けは失敗に終わる確率の方が、高いのではないか。

 つい最近、イエメン人のジャーナリストが訪日した。その際に、二人で話し合ったのは、イエメンの場合も他のアラブの国の場合も、体制派と反体制派の対立の根底には、部族間対立があるということだった。つまり、アリー・サーレハ大統領が失脚するようなことになれば、イエメンは民主的な国家になっていくというよりも、国内の部族間の武力衝突が、拡大していく可能性の方が、高いということだ。

 リビアの場合も同様で、部族間対立が本当の理由であり、それは富の配分が最も重要な、争いの原因になっているのだ。外国の支援や介入、反体制派支持は、そのアラブの国が民主化していくことを、望んでではなく、自国の利益に繋がるような体制が、出来上がっていくようにするため以外の、何ものでもないのだ、それが国際政治の現実なのだ。

 イラクの場合も、リビアの場合も、シリアの場合も、イエメンの場合も、強力なリーダーがいればこそ、部族間の武力衝突を防いで来れたのだ。つまり、独裁者の存在は、必要悪の部分が多分にあるのが、アラブ世界なのだ。その独裁者が存在しなくなったときは、漬物石を取ったのと同様に、内部は混乱の度を増していくのが、ほとんどであろう。そう考えると、イエメンには今後、当分の間、希望も平和も豊かさも、民主主義もありえないということであろう。