故アサド大統領には、力強く彼の後を継げる長男がいた。彼の名はバーセル、映画から出てきたような、マッチョな若者だった。しかし、彼は交通事故で死亡した。その後を継いだのが、学者肌の次男バッシャールだった。
バッシャールは若い時期に、長男との権力争いが起こらないように、という父親の配慮から、外国に留学させられ、博士号を取得して帰国した。しかし、彼を待っていたのは、彼が学んだ分野とは程遠い、血なまぐさいシリアの、政治の世界だった。
しかも、その故アサド大統領の後継者となった、バッシャールを手ぐすね引いて待っていたのは、バッシャールをおむつをしていた時代から知っている、父の盟友たちであり、そしてその盟友たちの子息たちだった。
盟友たちや彼らの子息たちは、シリアの国内にある権益を、上手に配分し、特権階級を形成していたのだ。その盟友たちはバッシャール・アサド新大統領と、もう一人の故アサド大統領の子息、マーヘルとを上手に使い分けていたようだ。
今回のシリア国内動乱では、バッシャール・アサド大統領の穏健路線は、全て否定され、盟友たちが吹きこんだ、マーヘルの強硬路線が採用されているようだ。これでは、バッシャール・アサド大統領が意味のある打開案を、提示できるわけがないのだ。
結果的には、騒乱以来、3度目のバッシャール・アサド大統領の演説は、不発に終わった。あるいはシリアの国内状況を、より悪化させたのかもしれない。シリアの大衆と外国政府は、彼の演説に失望したのだから。
このことは、中東に幾つも存在する権力構造が、このシリアにもあったということだ。権力内部には、大統領の子息に強硬派と穏健派がいて、それぞれを支援する権力内グループが存在する。あるいは権力内グループは、上手に強硬路線と穏健路線を、コントロールしているのかもしれない。
結果的に、大統領は今回の場面では、強硬路線の方向に舵をきらされ、妥協が生まれずに、崩壊していくことになる。トルコのギュル大統領はぎりぎりでの、シリアの多党制実現を提案し、エルドアン首相はシリアには、大改革が必要だと言ったが、そのアドバイスはシリアの何も変え得まい。
アメリカのオバマ大統領はトルコを通じて、シリアに圧力をかけ、路線変更をさせたい姿勢を示しているが、本音の部分では、もうシリアの体制との妥協は考えていまい。バッシャール・アサド大統領に残されたのは、体制崩壊までの、わずかな時間だけであろう。