「サダム・フセイン大統領は永遠なり?」

2011年6月19日

 2003年にアメリカ軍がイラクに侵攻し、サダム・フセイン体制は打倒された。その後、2003年12月13日彼は逮捕され、裁判にかけられた。そして2006年12月30日、サダム・フセインは絞首刑に処せられた。

 アメリカがサダム。・フセインは、大量兵器を製造している、隠匿していると世界的な大宣伝をした後に、始めたイラク戦争は、実際には大量破壊兵器を、見つけることが出来なかった。そして、アメリカはイラク戦争の目的を、独裁者からイラク国民を、解放することに摩り替えた。

 以来、8年の時が経過しているが、イラク国内状況はいまだに不安定であり、毎日のようにテロによる死傷者を、生み出している。結局のところ、イラクのマリキー首相は、アメリカの軍事力の保護の下になければ、自分の地位も生命も財産も、危険であることから、アメリカ軍の駐留延長を、要請する始末だ。

 そうしたなかで、マリキー首相は何とか、サダム・フセインのイメージを消し去りたい、と考えているようだ。マリキー首相の政策が失敗し続けているなかでは、サダム・フセイン時代のバアス党が、復活してくる危険性が、高いからであろう。

 そのため、イラク国内にある建物から、サダム・フセインの名を消すように命令した。しかし、どうもこの命令は、履行不可能なようだ。なぜならば、建物のレンガから建物を飾るタイルまで、全てにサダム・フセインあるいは『SH』(SADAMHUSEIN の頭文字)という文字が、焼き付けられているからだ。

 もし、サダム・フセインの名を建物から消そうとすれば、建物そのものを破壊しなければならないことになる。しかし、これらの建物は相当な資金が投入されて、建てられているため、国家の貴重な財産である。

 そこで、マリキー首相はサダム・フセインの名を消すために、貴重な建物を破壊するべきか、残すべきかに悩んでいる、ということのようだ。

 同じようなことは、エジプトの場合にもある。巨額の資金を投入して建てられた、ムバーラク時代の建物には、全て彼の名があらゆるところに、記されている。それをいちいち消すためには、莫大な手間と時間と費用がかかることになるのだ。

 サダム・フセインの亡霊が、建物の破壊を許さず、彼の名を永遠に留めるかもしれない。しかし、いいではないか。独裁者の名前が残っていれば、国民は二度とそれを許すまい、と思うであろうから。