リビアの内戦も大分時間が経過した。そのなかで、毎日数十人もの、死傷者が出ている。それは、人口600万人のリビアにとっては、大きな痛手であり、将来への不安であろう。
なかでも若者の犠牲は、将来のリビアの可能性を、縮小させてしまうからだ。そうは言っても、戦闘に参加しているのは、主に若者であり、無差別攻撃で犠牲になるのは、老人そして女性や子供が主体だ。
国際報道に添付されている写真を見ていると、子供たちが死亡したものや、身体の一部を失ったものが少なくない。ある一枚の写真は、6~7歳の女の子がワンピースを着て横たわっているものだった。片足が包帯で巻かれていた。実はよく見るともう片方の足がないのだ。その子はこれから一生、片方の足だけで生きていかなければならないのだ.
そのような青年や子供たちの犠牲を、リビアの人たちは毎日、目の当たりにしているのだろう。ある反体制派の幹部が、アメリカ軍の介入は絶対お断りだ、と言っていた。当然であろう、イギリスやフランスは、リビアの体制派と反体制派が、話し合いを始める段階で介入し、軍事攻撃を始めてしまった。結果的には、話し合いの余地が、彼らによって断たれたのだ。
アメリカ軍が介入した内紛は、いずれも血みどろの犠牲を生んでいる。ボスニアの内戦などは、その典型であろう。リビア人のなかにも、そのことを知っている人は多数いよう。アメリカ軍が介入すると、軍事大国だけに、大量の武器兵器を、惜しげもなく使うからだ。
リビアの内戦はこう着状態であり、何とかこれを打開しなければならない、とイギリスやフランスそしてアメリカは言うが、それはリビアを早急に、支配したいからであろう。
その後には、勝利の果実が、手に入ると思っているのであろう。もし、イギリスやフランスそしてアメリカが、もう一度監視の下で、リビアの体制派と反体制派に話し合いのチャンスを与えてみてはどうだろうか。
正直なところ、リビア人のほとんどは、もう内戦なんか止めたいのではないのか。それを介入した国々が、自国の利益のために引き伸ばし、カダフィ側を非難し、反体制側が全て正しい,と決め付けているのではないのか。
だから,リビアの反体制派の幹部が,これ以上の外国の介入は断りたい、アメリカには介入して欲しくない,と言っているのであろう。その発言者は,イスラム原理主義者ではなく,普通のリビア国民であろう。そして,彼の発言はリビアのほとんどの国民の声を,代表しているのではないのか。