ヨルダン国内の不安定については、大分前から指摘してきたが、ここに至って、それは、直接的なものとなってきたようだ。ヨルダンの首都アンマン市から200キロに位置する、南部の町タヒーレ市を訪問したヨルダン国王の車列に向かって、空ビンと石が投げつけられたということだ。
この出来事について、ヨルダン政府はアブドッラー国王を、歓迎する人たちのなかで、アブドッラーⅡ国王に握手を求めた人たちが、治安警察と押し合いになり、もみ合いになった結果だ、と説明している。
ことの始まりはそうであったかもしれない。しかし、タヒーレ市民にしてみれば、長い間経済的に苦しんでいたところに、アブドッラーⅡ国王が訪問するということで、何とか自分たちの要望を、直接国王に伝えたい、と思ったのであろう。しかし、アブドッラーⅡ国王との直接対話集会に、参加できる人たちは、極めて限られた数であったようだ。
一説によれば、アブドッラーⅡ国王との対話集会に、参加できる人たちは、他所の町の人たちが多かった、ということだ。そのため、タヒーレ市の住民、なかでも若者は怒り始め、結果的に治安警察と衝突する、という事態に発展したのではないか。
そもそも、ヨルダンの地方都市は、開発が遅れており、今までにも何度となく、南部地域ではデモや暴動が、起こってきている。今回の衝突で、25人の警察官が怪我をし、1人が重傷を負い、何台かのパトカーも焼かれた、という情報が治安警察から発表されているが、それは今回の衝突が、いかに激しいものであったかを、想像させるに難くない。
タヒーレ市長の対話集会参加者の人選、治安警察の乱暴な対応が、今回の惨事を生み出したのであろうことが、容易に想像できる。この衝突が、実は計画されたものであったのではないか、と思わせる情報もある。それは『タヒーレ自由人』と呼ばれる組織が、今回の出来事について、コメントしているからだ。
アブドッラーⅡ国王は、ヨルダン国内が危険な様相を、呈し始めていることを熟知しており、経済・政治改革を発表したばかりのタイミングで起こった、出来事だった。問題はアブドッラーⅡ国王の政治・経済改革の、明確な日程表が示されなかったことにあろう。
アブドッラーⅡ国王側は、タヒーレ市に対し、2110万ドルの開発投資を行うことを、発表するつもりだったようだが、その効果は出なかった、ということになる。
今回のヨルダンの地方都市における投石事件は、今後、ヨルダンの各地方都市にも飛び火していく、可能性があるのではないか。もちろん、首都アンマン市も、その例外ではあるまい。