ムバーラク前大統領と彼の家族が、何兆単位の金を外国の銀行に分散して、隠匿していたという情報が、彼の辞任と時を前後して伝えられた。この情報はムバーラク大統領のイメージを、大きく傷つけたことであろう。(情報源はアメリカではなかったのか?)
今日のパンにさえ事欠く、エジプトの大衆の側からすれば、これは単なる汚職のレベルではなく、凶悪な犯罪行為として映ったことであろう。それほどショッキングなものだったということだ。
しかし、現在の段階に至り、ムバーラク前大統領と彼の家族が、裁判にかけられることになり、真実(?)が少しずつ明かされ始めたようだ。それはムバーラク前大統領の弁護士、ファリード・エルデーブ氏によって明かされた。
ファリード・エルデーブ弁護士によれば、ムバーラク前大統領の資産は、600万エジプトポンド(約1億ドル)でしかない、彼は外国に一切資産を持っていない、外貨は1ドルも持っていないということだ。
こうまで言いきられると、少し疑いたくなるのが人情だが、しかし、少し考えさせられることがある。それはムバーラク前大統領の時代に、エジプトは大きく様変わりをしたという事実だ。
サダト元大統領が第4次中東戦争で勝利し(引き分け)、以来サダト大統領はエジプト経済の立て直しに、本格的に取り組んだ。しかし、サダト元大統領は大統領に就任して約10年、第4次中東戦争が終わって7年、キャンプデービッド合意が成立して、わずか2年ほどでこの世を去った。
このため、サダト元大統領が描いたエジプト経済再建は、もっぱらムバーラク前大統領の役割、ということになった。ムバーラク大統領は30年間に及ぶ統治の中で、部分的にはエジプト経済の再建に、成功したものと思われる。
外国からの援助交渉をまとめ、巨額の資金がエジプト政府の国庫に入り、民間実業家たちは湾岸諸国や、欧米企業との協力により、エジプトの経済を活性化させていた。それが躓きを見せたのは、いわゆるアメリカ発の、サブプライム・ローンの破綻だった。
もちろん、こうした流れの中で、エジプト社会の貧富の差が、大きく拡大したことも事実だ。しかし、それはやむを得ない部分もあったのではないか。中国の鄧小平氏は、「富める者から先に富め」と経済の活性化を煽り、結果的に中国は大金持ちを生み出した。もちろん、中国社会では貧富の差が拡大した。エジプトの場合も同じだった。ムバーラク前大統領の統治の下で、巨万の富を得た者が多数現れたのだ。
ムバーラク前大統領の資産、1億ドルを多いとみるか少ないと見るかは、個々人の価値観によって異なろう。もしこの試算額が正しいとすれば、私は彼の功労に対する、当然の報酬であったと言いたい。
『ムバーラク前大統領を絞首刑にしろ!!』と叫ぶ若者たちは、決して冷静であるとは思えない。人は酔った時、より強い酒を飲みたがるのと同じだ。品性あるエジプト国民なら、自国の大統領を殺人鬼、泥棒呼ばわりはしたくないはずだ。
ムバーラク前大統領には静かな余生(多分非常に短期間であろう)を送ることを、許してやるのが本来のナイルの民の、精神ではないのか。