昨年の何時の段階かは知らないが、ムバーラク前大統領の次男で、大統領職後継者と目されていたガマール氏が、父親であるムバーラク前大統領に対し、タンターウイ国防大臣を首にするよう、働きかけていたという情報が、流れてきた。
そのことと、ムバーラク大統領がタンターウイ国防大任に、副大統領職を持ちかけていたのとの、どちらが先だったのかは分からない。しかし、いずれであるにせよ、このガマール氏のタンターウイ国防大臣首の働き掛けが、結果として、現在の段階でムバーラク一家を窮地に追い込んでいることは、確かであろう。
ムバーラク大統領の妻、スーザン・ムバーラク女史も、一日も早いガマール氏への大統領職の禅譲を、働きかけていたということは、公然の秘密になっていたことから考え、ガマール氏のタンターウイ国防大臣更迭の働きかけは、スーザン夫人の働き掛けでもあったものと推測される。
そして今、ガマール氏はもとより、スーザン夫人もムバーラク前大統領も含め、ムバーラク一家はタンターウイ国防大臣の手に、生殺与奪の権を奪われた状態にある。
そのタンターウイ国防大臣が、ムバーラク一家の構成員に対し、何も遠慮する必要がない状態を、ガマール氏は創っていたということだ。そして現実には、ガマール氏も彼の兄であるアラーア氏も、そして二人の夫人たちも、スーザン夫人も、ムバーラク前大統領も全てが、裁判にかけられる状況に、なってきている。
カイロでは、ぜいたくの限りを尽くしていた、スーザン元大統領夫人が木綿のガラビーヤ(ワンピースの長いような民族衣装)を着せられ、刑務所に放り込まれ、意地の悪い取り調べをされ、裁判にかけられるという見通しだ。
彼女はすでに逮捕の情報が流れた段階で、心臓発作を起こし、即逮捕にはならなかったが、医師の診断の結果、逮捕投獄に十分対応できる健康状態に回復した、とその後判断されている。
ガマール氏の焦りが、結果としてムバーラク家の運命を、大きく変えた可能性がある。ムバーラク大統領は大衆蜂起の段階で、軍に出動を命じたが、タンターウイ国防大臣がそれを、拒否していたということだ。